上方歌舞伎の灯守り、その水脈を次世代へ 片岡秀太郎さん死去

上方歌舞伎の灯を高く掲げ、その水脈を次世代に手渡し続けた人生だった。

23日に死去した片岡秀太郎さんは、十三代目 #片岡仁左衛門 の次男として大阪に生まれた。1994年に父を亡くした後、東京に移るよう打診されたこともあったが、上方歌舞伎の灯を守った父の思いを継ぎ、関西を離れなかった。晩年には「関西の土の上で、関西の空気を吸って、何とかして上方のにおいを残したかった」と振り返っていた。

戦災による劇場の焼失やベテラン俳優の死去で、関西の歌舞伎界が弱体化した50〜60年代に青春期を過ごした。公演が少なく苦しい時期だったが、舞踊や鼓、義太夫などをしっかり身につけた。

92年に、大阪の一般家庭出身の片岡 #千代丸 (愛之助)を養子に迎えた。97〜99年には「関西歌舞伎中之芝居」と銘打って上方の演目の復活公演を続け、97年から開講された松竹・上方歌舞伎塾の主任講師を担当。上方の俳優の育成に尽力した。2019年に人間国宝(歌舞伎脇役)に認定された時は「私ではなく、私が醸し出す芸や、教えることが認定されたのです」と話した。

京都・南座の顔見世興行への出演は、20年までに通算71回を数え、歌舞伎界で最多だった。【畑律江】

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