漫才ブームを作り上げた“視聴率男” 澤田隆治さんをしのぶ

「お笑い芸人」と呼ぶことが多くなった漫才師。年末には「M—1グランプリ」「THE MANZAI マスターズ」が放送され、テレビにも朝から晩まで登場する。ドラマはもちろん、ニュース番組や教育番組への出演も当たり前になった。でも、約40年前は日の当たる存在ではなかった。一躍注目を浴びるようになったのは1980年に始まった漫才ブームだ。そのきっかけを作った一人が、16日に88歳で亡くなったテレビプロデューサー、澤田隆治さんだった。

澤田さんは大阪・朝日放送(ABC)に入社し、 #藤田まこと さん主演「てなもんや三度笠」では最高視聴率64.8%を記録した“視聴率男”だ。75年、ABC在籍のまま上京し、テレビ制作会社「東阪企画」を設立する。

それまでは東京のテレビは東京の芸人、関西のテレビは関西の芸人が登場するのが当たり前だった。澤田さんは、会社名の通り、東京でも活動を広げることになり、日曜午後9時の「花王名人劇場」(関西テレビ・フジテレビ系、79〜90年)をスタートさせる。

だが、日曜の夜に東西の名人芸をたっぷり見せよう、という企画は当初、視聴率が低迷する。やはり東西の「笑いの壁」は厚かった。

原石登用で「漫才ブーム」火付け

そんな壁を打ち破ったのが、花王名人劇場の一企画として80年1月20日に放送された「激突!漫才新幹線」だった。あの迫力は、おぼろげながら覚えている。

澤田さんが登場させたのは、まだ30代の若さの横山やすし・ #西川きよし 、おしゃれな長身と小柄のコンビの星セント・ルイス、という東西の元気な若手。そしてB&Bの3組だ。

当時の漫才は、そろいのスーツにネクタイ姿、「ご両人」と紹介され、若い世代にはなかなか取っ付きにくかった。ところが、この3組は、漫才のイメージを変えるほどのインパクトがあった。にもかかわらず、まだ広くは知られておらず、B&Bはほとんど無名の存在だった。

こわもてのやすしさん、温和なきよしさんのしゃべりは関東の人にはまだ慣れない関西弁だけでも面白く、速いテンポで展開。いつの間にかボケとツッコミが入れ替わることも。ついていこうとするうちに、引き込まれていった。セント・ルイスはセントさんの早口にルイスさんがツッコみ、「田園調布に家が建つ」などのギャグを連発してやすきよに対抗。そして大阪で芽が出ず東京に移っていたB&Bは、Tシャツ姿に、さらに早い口調で「もみじまんじゅう」。これが若い世代にウケた。

かつてのテレビ製作者は、寄席や演芸場に足を運んで、どんな芸が、どんな芸人がウケているのか、よく知っていた。「てなもんや」でも藤田まことさんを初の主役に抜てきしたように、澤田さんも笑いの現場で自分の目で東西の芸人を見続けてきた。だからこそ笑いの壁を壊し、それまでの漫才という固定観念を捨て、現場で光る原石にこだわった。そこには自分の見立てに対する確固たる自信もあったに違いない。

これを見ていたフジテレビプロデューサーの横澤彪さんは、同年4月、漫才を横文字にした「THE MANZAI」を企画。やすきよら3組に加え、ツービート、 #島田紳助 ・松本竜介、ザ・ぼんち、 #オール阪神・巨人 、太平サブロー・シローらが登場し、漫才は新しいエンタメへと生まれ変わった。彼ら若手は「オレたちひょうきん族」(81〜89年)で「8時だョ!全員集合」(TBS、69〜85年)と視聴率を競うことになる。

新ジャンル開拓、テレビの面白さ追求

澤田さんが新規開拓したのは演芸だけではない。「てなもんや」にも出演した芦屋雁之助さん主演のドラマ「裸の大将放浪記」も大ヒットした。

さらに「ズームイン!!朝!」(日本テレビ系、79〜2001年)は、それまでなかった朝の情報番組という、新しいジャンルを開拓した。バラエティーには強いけれどニュースを読むのはちょっと苦手な #徳光和夫 さんにニュースはほとんど読ませず、新聞の朝刊のさわりを紹介させる。各局のキャスターが地元プロ野球チームを熱烈に応援。「公正中立が原則」のテレビで、出演者が勝てば喜び負ければガッカリというのは実に面白く、巨人が負けた翌朝の徳光さんを見るのは、失礼ながらアンチ巨人として楽しかった。

澤田さんは晩年、そんなテレビの面白さを後世に伝えようと務めた。多くの書籍に残したり、ユーチューブで自分のチャンネルを立ち上げたり。ちょっとこわもてにもかかわらず、同じ目線で、当時の思い出をすぐに引き出し、説明してくれる澤田さんに、私も助けられた一人だ。澤田さんの芸の知識と記憶力は晩年も衰えることがなかった。「てなもんや」の映像を、当時はビデオテープが高価で使いまわしていた時代に、自ら収録、保存していたのも、自身の仕事への誇り、テレビ草創期から知る世代から後輩へ伝えたいという心意気があったからだろう。

元放送作家の西条昇・江戸川大学教授(芸術学)は「数多くの番組に声をかけていただいた。午前7時に電話をかけてきて台本について指示をするなど、仕事にはとてもシビアでタフな人。でも、気質がお笑いのマニア同志で通じるところがあり、普段はフランクに話せる方。毎月のように電話で話をしていて、2月にも関西の番組の懐かしい番組の話を2時間以上もしたばかり。大学で教えるようになったのも澤田さんがお誘いくださったのがきっかけでした」と振り返る。

テレビ離れが叫ばれる今、楽しいテレビとはなんだろう。「見られてなんぼ」の視聴率男だった澤田さんのこだわりに、その答えがあるのかもしれない。【油井雅和/デジタル報道センター】

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