アリスソフトのMIN-NARAKENが描く美少女絵は、なぜ色あせないのか? 『神のみ』若木民喜が訊く、『闘神都市』『鬼畜王ランス』を手がけた神絵師のこだわりとは

 『神のみぞ知るセカイ』で知られる若木民喜氏が1990年代の美少女ゲーム業界を描いた単行本『16bitセンセーション 私とみんなが作った美少女ゲーム』巻末にて、アリスソフト所属のイラストレーター・MIN-NARAKEN氏へのインタビューが掲載されている。
 紙幅の都合上、残念ながら取材内容の5分の1程度しか掲載できていなかったのだが、今回電ファミニコゲーマーにてそのインタビュー内容の全文を掲載させていただくことになった。人気の全盛にあった1990年代の美少女ゲーム業界は、いったいどんな風景を見ていたのか?ぜひその貴重な証言をご覧いただきたい(編集部)。

『16bitセンセーション 私とみんなが作った美少女ゲーム』

『16bitセンセーション』試し読み1話はこちら『16bitセンセーション』購入はこちら(Amazon)


TADAさんの目の前で絵を描いたらアリスソフト入社が決まった

──本日は『16bitセンセーション』の巻末インタビューということで、MIN-NARAKENさんにお話を伺っていこうと思います。今回は企画の関係上、1990年代の美少女ゲーム関連のお話も多くなると思いますが……。

MIN-NARAKEN氏(以下、MIN):
 大丈夫ですよ。いや、結構忘れていることもあるかと思いますので、そこは若木さんに突っ込んでもらって(笑)。

若木民喜(以下、若木):
 いえいえ(笑)。今日はよろしくお願いします。

MIN:
 よろしくお願いします。

──若木さんの突っ込みにも期待しています(笑)。さて、さっそくMIN-NARAKENさんにお伺いしたいのですが、アリスソフトに入ったのが1989年でしたよね?

MIN:
 確かに1989年からアリスソフトの仕事をしていたんですが、当時は社員ではなかったんです。絵の発注をいただいて、それを描いて持っていくという……アルバイトというか外注スタッフというやつですね。正式な入社は1994年か95年やったと思うんですけど。

(画像はアリスソフト 公式サイトより)

──ということは、5年くらいは外注スタッフとして働かれていたわけですね。

MIN:
 そうなんです。その間にアリスソフト以外の仕事をしたり漫画を描いたりと、いろいろやっていました。だからフリーでしたね。

──なるほど。では、そんなアリスソフトでお仕事をすることになった経緯をお聞かせいただけますか?

MIN:
 これは1989年──僕が大学(大阪芸術大学)に入学した年なんですけど、漫研に入りまして。そこの先輩にアリスソフトとかかわりを持っている人がいたんですね。それで漫研に入ったその日に部室で絵を描いていたら、それを見たその先輩が「キミは絵が描けるなあ。その絵を持ってここに行ってきなさい」と言われて、行った先がアリスソフトだったんですよ。

──え? それで絵を見せたら仕事が決まったわけですか?

MIN:
 そうですね。会社に行ったら、そこにTADAさんがいて、TADAさんの目の前で絵を描いたら「おー、描ける描ける。なら、女の子の絵、描いてくれへんかなあ」って言われて。そっからアリスソフトで絵を描き始めました。

若木:
 ちなみに当時のアリスソフトって、自社ビルだったんですか?

MIN:
 いえ、賃貸のビルに入っていました。ハニービルになったのは1995年ですね。

若木:
 その1990年代前半の取材記事が載っている雑誌があるんですが、スタッフがみんな若いじゃないですか。社内はどんな雰囲気だったんですか?

MIN:
 確かに若い会社で、みんな20歳そこそこでしたね。若木さんが『16bitセンセーション』で描いていたように、いすを並べて寝ている人とかもいたなあ(笑)。僕は絵を届けに行くくらいでしたけど、スタッフの椅子の間を縫うように歩いていましたよ。その合間にCG作業をしているパソコンを覗いて、「こんなふうなゲーム画面になるんだ」って思ったり。

──その時、18歳ですか? 美少女ゲームの歴史も30年以上になりますが、その年で原画家デビューした人は多くないと思いますよ(笑)。

MIN:
 そうですよね(笑)。僕も美少女ゲームの仕事をするつもりはなかったんです。大学に入ったし、なにかバイトせんといかんなあとは思っていたところだったので、先輩から絵を描ける仕事を紹介してもらえたのはよかったなあってくらいの気持ちだったんですよ。それがいきなり「美少女ゲームの絵を描け」ですからね。

──しかもエロゲーですよね。それはご存じだったんですか?

MIN:
 それがねえ、実は僕がパソコンゲームの知識をほとんど持っていなかったんですよ。高校でも漫画研究部だったんですけど、アニメ方面ばっかりだったですし、当時のパソコンなんて40万円くらいしましたしね。

──確かに一般家庭にパソコンが普通にある時代ではなかったですよね。

MIN:
 ウチにはオヤジのパソコンが1台あったんですが、僕は自由に使えないし、だからパソコンゲームがあるなんて知らないわけで、当然エロゲーの存在なんて、ねえ(笑)。

──じゃあ、まったく知らないでアリスソフトに行ったんですか?

MIN:
 一応先輩から聞いたんですよ。「アリスソフトという美少女ゲームの会社があって」「美少女ゲームってなんすか?」みたいな(笑)。そこで先輩からアリスソフトのゲームの絵を見せられて、「こんなエロいことを高い機械でやるのかあ」みたいなところから始まったんです。でも絵を描いてお金をもらえるわけですからね。「いいっすねえ」ってことで、すべてが始まったわけです。

──とはいえエロ絵ですよね。それを描く抵抗なんかはなかったんですか?

MIN:
 ありましたよ、そりゃ(笑)。もともと僕はバイクやメカの絵ばかり描いていて、女の子の絵を描くようになったのも高校2年生くらいからなんです。だからエロ絵なんか描いたこともないし、自分が描くとも思っていなかったわけです。だから最初は抵抗もありましたけど、背に腹は代えられないですよね(笑)。いい話をいただいたわけだから、チャレンジですよね。それにバイトだから、描けないとなれば向こうから切って来るだろう、まずはやってみることやなあと。

──それから30年というんだから、その先輩は慧眼でしたね。最初のお仕事は……。

MIN:
 『あぶないてんぐ伝説』(1989年)ですね。この原画を全部担当しました。

『あぶないてんぐ伝説』

若木:
 その時のギャラって、いくらくらいだったんですか?

MIN:
 それについては秘密です(笑)。

──そうですよね(笑)。その『あぶないてんぐ伝説』は12月発売だから、アルバイトを始めて数カ月で発売されています。それまで美少女ゲームを知らなかったということですが、仕事の前にプレイした作品はあるんですか?

MIN:
 これがですね、当時の記憶があいまいなんですけど、いきなり指定書を渡されて絵を描かされていたような気がします。だから自分の中で構える間もなくというか、何も考えられないうちに仕事をしていた感じですね。

──ちなみに当時は、どのような流れでお仕事をされていたのですか?

MIN:
 大学卒業までは外注だったので、ほかの仕事をやりながらアリスソフトの仕事も受けていたんですけど、「週に1回は会社に来てほしいかな」と言われていました。

──週1通勤ということでしょうか?

MIN:
 いえ、出来上がった原画を渡しに行くわけです。当時は電送手段がありませんからね。会社に行って資料をもらう。それを持ち帰って作画作業をして、週に1回くらいのペースで出来上がった絵を持っていく。そんな流れでしたね。

──当時の絵は手描きだったのですか?

MIN:
 そうです。ほかの原画家さんはパソコンで描かれていた方もいらっしゃったようですが、僕はもともとアナログ作画でしたから、アリスソフトの仕事も紙にシャープペンもしくはミリペンで描いていましたね。

──そうして描いた絵をファイルなどに挟んで持ち込む、ということですか?

MIN:
 そうですそうです。まさにアナログですよね(笑)。それの繰り返しでしたね。もう時効だから言いますけど、締め切り近くになると学業そっちのけで絵を描いていましたよ(笑)。

若木:
 MINさんは画集を見ても、初期から色指定をされていますし、当時から今と同じような絵を描かれていますよね。でも『あぶないてんぐ伝説』や『闘神都市』のCGはアニメ塗りです。当時、自分の絵がCGになったのを見て、どんな風に感じられていたんですか?

『闘神都市』

MIN:
 実はですね、自分の絵がCGになったのを最初に見たのは雑誌だったんです。『あぶないてんぐ伝説』で、ですけども。その時は「あ、こんなふうになるんだ。アニメみたいだなあ」って思いましたね。

若木:
 なんか、簡単な線になってしまった印象があったんじゃないですか?

MIN:
 いいところをついてきますね(笑)。僕は最初、色鉛筆で色指定でやっていました。これだと色指定がアニメ風なので、グラフィックもアニメ塗りになるんです。それが後に僕も色指定をコピックでやるようになるんです。コピックはブレンダーがあるので、アナログ塗りができるんですよね。それをグラフィックさんが考慮してくれるようになって、ゲームCGもアナログ塗りに近くなっていったという経緯があるんです。

若木:
 その切り替えっていつくらいからですか?

MIN:
 アリスソフトに入ってからですね。「こんなにいい画材があるんだ」って色指定に使うようになりました。実は当時アリスソフトには影指定のスタッフがいて、1998年くらいまでは僕の色指定と両方存在していましたね。

若木:
 『鬼畜王ランス』(1996年)の影指定はMINさんですよね。

MIN:
 これが実は両方なんです。実は画集に掲載されている僕の影指定は、厳密にいえば影指定さんに色をお伝えするための色指定なんですね。僕がコピックでつけた色指定を、影指定さんが色鉛筆で影指定に落とし込んで、それを元にグラフィックさんがCGにしていくという作業の流れでした。

──『鬼畜王ランス』が1996年発売ですから、まさにDOSと次世代OSの過渡期ですね。

MIN:
 そうですそうです。ただ、これは僕だけのやり方だったので、アリスソフトのほかの原画家さんも同じかどうかは分かりません。僕の場合は色のイメージがないと絵が描けないタイプなので、線画を描いたからには色を塗りたかったんです。

──『零式』(1997年)や『ママトト 〜a record of war〜』(1999年)の頃も同じですか?

MIN:
 そうです。ただ、原画家としての仕事が増えてくると、忙しくて時間が足りなくなってくるんですよ。それで影指定さんに直接線画をお渡ししたり、色を塗る時間がないから茶色のコピック一色で影指定を入れたりするようにもなりました。

一歩間違えれば運送会社へ就職していた

──ちょっとお話を戻させていただきますが、お仕事はご自宅でされていたんですか?

MIN:
 実は大阪芸術大学は大阪の南の奥にありまして、自宅からも通っていたんですけど、仕事が忙しくなると通学時間がもったいなくなるんですよね。それで大学近くに部屋を借りていました。なので、その両方で絵を描いていました。

──でも大学からアリスソフトの事務所までも距離がありますよね。

MIN:
 1時間はかかりました。だから会社に行くのは結構大変でしたね。

──そんな学生生活を送って、卒業後に晴れてアリスソフトに入社されたわけですか?

MIN:
 それがちょっと違うんですよ。卒業して2年間くらいはフリーとして活動していたんです。というのも、ありがたいことに学生時代にいろんなところで仕事をさせていただいて、漫画の連載も始まっていたんですね。それで卒業してすぐに就職するわけにはいかなかったんです。まあ僕も「仕事があるんだからええやん」って卒業即就職ということは考えてはなくて。なのでアリスソフトでも大学卒業から2〜3年は、引き続き外注スタッフとして働いていました。

──当時のお仕事ぶりを振り返ると、そのままフリーでも活動できたと思います。なぜ就職を?

MIN:
 フリーって時間に融通が利くじゃないですか。だから親の生活リズムと合わなくなるんですね。腹に据えかねたのか「そんなことはやめて就職しろ」って言われまして。僕自身も「このまま絵で食っていけるわけないやん」って思っていたこともあって……。

──そうだったんですか?

MIN:
 だって今みたいにネットで自分をアピールしたりできる時代じゃないんですよ。その時はまだ仕事のつながりがあったからいいけど、新規開拓の仕方なんかわからない。だからちゃんと就職して、絵は趣味の一環としてやっていこうと思っていたんです。それで知り合いの伝手で運送会社へ就職するという話が、いい感じで進んでいたんですね。

──ええ!? それでどうなったんですか?

MIN:
 ちょうどその時に、アリスソフトさんから、新しい仕事の話が来たんですよ。それでTADAさんに「就職しなければいけなくなったので、これからアリスソフトさんの仕事も減っていくかと思います」と伝えたら「何を言っとるんだ。就職しなければいけないなら、ウチに来い」と(笑)。あ、そうなんすか?みたいな流れでアリスソフトに入ることになったんです。

──そこで相談して置いてくれて、ファンとしては助かった気持ちですよ(笑)。

MIN:
 今にして思えば相談してよかったですよ。せっかく声をかけていただけたわけだし、絵を描いていけるところまで行ってみたいと思いました。それで運送会社には断りを入れて、アリスソフトに入ったんです。

──こちらからすればTADAさんさまさまですね(笑)。そんなTADAさんは、当時どんな印象でしたか?

MIN:
 当時、僕が絵を渡していたのはYUKIMIさんだったので、開発本部長だったTADAさんとは、あまり話したことがなかったんですよ。だから当時の面白話といえば……あ、ひとつありますね。僕も大学卒業間際になると、やはりレポート提出の締め切りが山のように迫ってくるわけです。そんな時に『テクノポリス』さんから名指しでピンナップを描いてくれというオファーが来たんです。さすがにここは学業優先ということでお断りしようと相談したら「あ、そうですか。大変ですね。でも描いてください」って(笑)。こっちに断る権利はないのか!?って思いましたけど、『闘神都市』のクミコさんを、色指定込みで1枚描きました。でも、この時はちょっとキツかったですねえ。

若木:
 絵の担当だったYUKIMIさんというのは、当時数少ない、業界最初期の女性原画家という印象があるのですが、MINさんからみて、どのような方でしたか?

MIN:
 とてもやさしい人でしたよ。僕が締め切りを遅らせても叱られなかったし(笑)。非常に温厚で、もちろん厳しいことを言われることもありましたけど、とてもお世話になった方です。今でも感謝しています。

若木:
 教えてもらったことなんかはあったんですか?

MIN:
 アリスソフトの作画作業のシステムとか、ツールや画材についてもいろいろ教えていただきました。ただ、絵柄への指導については、「それは個性だから」的な流れで、ありませんでした。

──当時のお仕事の部分で印象深い出来事はありましたか?

MIN:
 これは『あぶないてんぐ伝説』の時なんですが、手描き原画というのは、原画を完成させた後に一度コピーを取り、そのコピーで色指定を作らなければいけないんですね。そのコピーを取りにコンビニまで行くんですけど、そうすると、原画をコピー機に忘れてくるんですよ(笑)。女の子がおっぱい出した絵なわけですけど、それを持った店員さんが「お客さん、忘れものです」って追っかけてくるわけで、やっぱり気まずいですよね。これ、2回か3回ありましたね。ほんと、気まずくて、コピー機を買いましたから(笑)。

──よく聞くエピソードとはいえ、やはり強烈ですね(笑)。

MIN:
 そうでしょう。まあ、コンビニまでそれなりに距離もあって、コピーのために行くのも面倒くさかったのもあるんですけどね。

──印象に残っている作品は何でしょう?

MIN:
 その頃だと、やっぱり『闘神都市』ですね。大きな作品でしたし、その後『闘神都市Ⅱ』も出ましたからね。やはり一番思い出深い作品です。

──『闘神都市Ⅱ』は1994年にDOS版が発売され、翌95年に次世代OS版が発売されました。いわば端境期にある作品なのですが、DOSと次世代OSで、絵の仕事に変化はありましたか?

『闘神都市Ⅱ』

MIN:
 僕はアナログで作画していましたので、それほど変化はありませんでしたね。もちろん会社のCGスタッフの仕事には変化があったと思いますが。

──ちなみにいつくらいまで手描きで原画を描かれていたんですか?

MIN:
 僕はつい最近まで手描きでしたよ。確か2014年くらいまでかな。ずいぶん長いこと手描きでしたよ。

若木:
 原画だけでなく、パッケージ絵も初期は手描きされていましたが、最近はCGになったじゃないですか。この切り替えはなぜだったんですか?

MIN:
 会社に入るまでは全部手描きで、ボードを買ってきて描いていました。だから会社に入ってからですね。会社にはそれぞれ分担もありますし、なにより手描きだと失敗すると全部描き直しですよね。そのプレッシャーに耐えられなくなったというのもあります(笑)。とはいえ『SeeIn青 -シーンAO-』(2000年)のパッケージは手描きでした。これは手描きの方が訴求力があると思ったからです。パッケージを完全にCGで描くようになったのは『シェル・クレイル 〜愛しあう逃避の中で〜』からだと思います。


当時の最先端を走っていた、MIN-NARAKEN氏の美少女絵

──さて、そんなMIN-NARAKENさんの絵なのですが、当時の美少女絵としては、とても先端を走っていたように思われます。特にその少女漫画的な繊細さはほかにないものだったと思います。こういう絵柄になったバックボーンをお聞かせください。

MIN:
 なんだろうなあ(笑)。先ほども言いましたが、僕が女の子を描くようになったのは、かなり後になってからなんです。なぜ女の子を描くようになったかというと、ロボットやメカの絵を雑誌に投稿するときに、女の子を一緒に描くと掲載率が上がるんですね(笑)。それで女の子を描くようになったんですが、やはりかわいくないとダメなんですよ。なので「かわいい女の子を描こう」と意識していたのは覚えていますね。特に誰かのイラストに影響を受けたというのはないんですが、「この人の描く瞳はいいな」とか「この人の体つきの描き方はいいな」みたいな形で取り入れていったのかもしれません。

──特別なイラストレーターという存在はなかったんですね。

MIN:
 そうですね。その時々に、いいと思ったものを取り入れていった……だから初期の頃はかなり絵柄も変わっていっているんですよ。

──若木さんはMIN-NARAKENさんの絵をどんなふうに見られているんですか?

MIN:
 ふふふ、聞きたい。

若木:
 MINさんの絵って、ほかの人と雰囲気が違いますよねえ。フォロワーがいない感じがあるんですよ。あんな繊細な絵はまねできないですからね。

MIN:
 それ、ずいぶん言われましたよ。「これ、どうかいてんの? マネできひんやん」とか(笑)。

若木:
 そのまねできない絵柄というのが、MINさんが長年第一線で活躍されている理由だと思うんですよ。『闘神都市』の頃からそうでしたよね。当時主流だったアニメ絵とは全く違う。

MIN:
 実はアリスソフトで仕事を始めたときから「線が細い」とは常に言われていました。当時はスキャナーで絵を取り込んでPCに持っていくわけですが、線が細いとスキャナーが拾わないんですよ。だから太い線で描いてくれと言われました。なので、当初僕は0.3mmのシャープペンで絵を描いていたんですが、それが0.5mmになり、最終的にはミリペンになっているんです。

──どんどん太くなっていったんですね。

MIN:
 お話しした通り、僕はPCゲームの知識もなく、ずっとアナログで絵を描いていました。その流れでゲーム原画を描くことになったので、特に気にもせずに0.3mmで描き始めてしまったんですね。もっとPCゲームの原画家という仕事を理解していれば、最初からミリペンで描いていたかもしれないですけど、こういう絵柄になったのは、その部分もあると思います。

──今ではパソコンもスキャナーも性能が良くなって、よりMIN-NARAKENさんの絵をCGでも出せるようになったのかもしれませんね。

MIN:
 それも言われました。細い線を拾えるスキャナーを入れたから、0.3mmでも大丈夫だよって(笑)。それまでは苦労しました。僕は細い線を重ねて絵を描いていくタイプで、その作業が大好きだったんですね。いかに細い線を引くかに執着していた時期もあって、ロットリングで絵を描いたりもしたんです。そういう人間がいきなり「太い線で描け」と言われるジレンマ(笑)。
 それに違和感を感じてしまって、絵を描くのが楽しくなくなった時期もあったんですよ。もちろんアニメ絵にはあこがれもあったんですが、自分がそういうタイプではないって自覚していたので。実際に練習したこともあったんですけど、楽しくないんですよ。これはダメだ、絵をやめようかなって思ったこともありました。

──それって、どのあたりですか?

MIN:
 1990年の初めの頃ですよ。当時は学業でも悩んでいた時代で、絵を描くことにやさぐれていたんですよね。

──その同時期に活躍されていたほかの原画家さんも多かったと思います。刺激になったりしたのでしょうか?

MIN:
 そうですね。ちょうどその頃って美少女ゲーム雑誌がたくさん出ていた時期じゃないですか。それでいろんなゲームの絵を見て、「こんな人がいるんだ」「こんな塗り方があるんだ」と刺激になりましたね。

──特に影響を受けた原画家さんやメーカーさんはありますか?

MIN:
 天津堂さんの絵はいいなって思いましたね。特に肌の塗りがきれいだったので、個人的に勉強させてもらいました。

若木:
 天津堂って、まだあるんですか?

──天津堂自体は新作を出していませんが、親会社のソフパルでは、ユニゾンシフトさんなど人気ブランドが多数活動されていますね。

MIN:
 ソフパルさんってショップもやっていたじゃないですか。僕も結構出入りしていたんですよ。

若木:
 僕、天津堂のRB26DETTさんの絵が好きなんですよ。塗りもいいので、ぜひ新作を見たいんですよね。

MIN:
 僕も天津堂さんの塗りは研究しました。でも、あの塗りはRB26DETTさんにしかできない塗りです、凄いなあと今でも思っています。

若木:
 16色という狭い範囲で、皆さんしのぎを削っていた時期でしたよね。

MIN:
 そうでしたね。ほかに印象に残っているのはポニーテールソフトさん。

若木:
 ポニーテールソフトさんは、もうちょっと前ですかね。

MIN:
 そうですね。背景も含めて、あそこまで塗れるというのはすごいなと思いました。

アナログで原画を描いてきた、MIN-NARAKEN氏の画材へのこだわり

──1990年代……DOSから次世代OSに移り変わっていく時代の美少女ゲームのグラフィックは、どこかのブランドがほかに影響を与えるというよりは、各ブランドが独自の塗り方を極めていって、それが個性になった時代とも言えますよね。

MIN:
 僕はそう思っています。ブランドの特色を出すのはグラフィックチーフやCGスタッフの力量だと思っているので、まさに資産ですよね。当時はタイルパターンの作り方も職人技だったと思うんですよ。今でいうカスタムブラシがそれに該当すると思うのですが、グラフィッカー個人や会社で独自のタイルパターンを持っていて、それをどう使っていくかがブランドの特色になっていったと思っています。

──グラフィックももちろんですが、アナログで原画を描かれていたMIN-NARAKENさんも、画材へのこだわりはあったんですか?

MIN:
 ありましたよ。僕は画材マニアでしたから、文房具店や画材屋に行って、アレコレ探すのが大好きでしたから。こだわりと言えばシャープペンで、「アナログで描くならこれ!」と決めているのがあるんです。

──メーカーとか教えてもらえますか?

MIN:
 えー……あれ? 書いてないな(笑)。多分今では手に入らないシャープペンなんですよ。10本くらい在庫があるんですけどね。それを軸がぶれないように一番先端をペンチで絞めたりと、自分なりに使いやすくしています。

──それはすごい。芯は0.3mmですか?

MIN:
 そうです。一時0.2mmを使ってみたのですが、細すぎて折れてしまうんですよ。それで0.3mmに戻しました。

──シャープペン以外はいかがでしょう?

MIN:
 それぞれのツールごとに好きなアイテムがあるんですよ。マーカーで言えばマービーよりヌーベルのほうが発色が自分好みに良くて好き、とか。

若木:
 MINさんといえばカラーインクじゃないですか。カラーインクはどこのものを使っているんですか?

MIN:
 カラーインクは全社使っている気がする。ウィンザー&ニュートンから始まって、ホルベインにいって……ルマも試したんだけど、これがやたらめったら高いんですよね。最終的には色数と発色の良さ、塗りのバランスなどで、ドクターマーチンで落ち着きました。

若木:
 当たり前かもしれないんですけど、それだけ試していくというのがすごいですよね。

MIN:
 カラーインクはそれぞれ特性と傾向があって。それで使い分けていましたね。

若木:
 MINさんって、やっぱりCGよりもアナログの方が向いているのかなって思いますよね。むしろCGを使うことで、絵を劣化させてしまうんじゃないか、と。自分のような絵の下手な人間にとって……。

MIN:
 いやいや、何を言っているんですか。

若木:
 いやいや、絵の下手な人間にとって、CGというのは絵をうまくしてくれるものなんですよ。実力以上に描けるツールなんです。発光レイヤーとかすごく便利じゃないですか。

MIN:
 便利ですねえ(笑)。

若木:
 絵のうまさが二割増しになる(笑)。MINさんがCGを描くとき、そういう便利ツールって使います?

MIN:
 僕はねえ、結局アナログ塗りなんです。レイヤー数も多いから、若木さんが見たら「なに面倒くさい事やってんの」って思いますよ、きっと。だから便利なツールがあっても、自分の描き方だと自分でやってしまうことが多いかなあ。ただ、ツールがあると手数が減りますから、時間短縮にはなりますよね。

若木:
 ご自分では、あまり使わない?

MIN:
 いや、それがねえ、時間が迫ってくると手数をかけないようにしたいから、なんだかんだツールを使ってしまうんですよ。

若木:
 さっきレイヤーが多いって言われたじゃないですか。アリスソフトさんでは1枚のCGにどれくらいのレイヤーを使うんですか?

MIN:
 人それぞれじゃないですか? もちろんグラフィッカーの中では「これくらい」というのがあるとは思うんですが、僕にその知識はないんですよ。

若木:
 以前お話しした時に、かなりレイヤーを使っているって言われていたじゃないですか。

MIN:
 僕は線1本にレイヤーひとつ使うので、レイヤー番号としては2000とか3000とかいっちゃいますね。

一同:
 えー!?(笑)

MIN:
 それでデータが重くなりすぎて、とりあえず下半身だけ結合させて、あとで全体に組み込むとか、そういうことをよくやりますね。

若木:
 それ、レイヤー番号を管理するだけで大変じゃありません?

MIN:
 確かに。でもこれ、慣れてくると「レイヤー番号347はここの肌の部分」とかわかって来るんですよ(笑)。自分の描き癖で、これくらいの番号だと大体どのパーツかがわかるんですよね。だからレイヤー名も全部番号で管理しています。まあ、これも僕がCG慣れしていない人間だから、こういうことになっちゃうんですよね。あとから気になる線を直せるように、とか。例えば3本線を描いて、真ん中の線が気に入らなかったら、2番目だけ消して描き直すとかね。

若木:
 まあ、そこまでレイヤーを使えるようになったのもパソコンの進化ですよね。

MIN:
 若木さんもご存じだと思うんですけど、Photoshopのver.3とかver.4とかってレイヤー上限が100とか200とかって決まっていたんですよね。その時は困りました。すぐに上限になっちゃうから。

若木:
 MINさんってPhotoshopで描いているんですか?

MIN:
 個人的にはPhotoshopがメインですが、結構まんべんなく使っていますよ。

──それだけレイヤーがあるとなると、1枚のイラストを描くのに、どれくらい時間がかかるのですか?

MIN:
 それがですね、僕は飽きっぽい性格なので、ひとつの絵を1〜2時間描いたら、2〜3日開けるのもザラなんですよ。なので1枚の絵にどれくらいかかるかはわからないですねえ。こだわれる時間があれば、あーでもないこーでもないって1週間くらいかけることもありますし、スケジュールが詰まっていれば、時間短縮の方法を駆使して、期間内に上げるようにしますしね。まあでも、時間がかかる方だと思っています。

若木:
 グラフィックの話なんですが、アリスソフトさんは256色に移行するのが早かったですよね。

MIN:
 16色から256色に移行した頃は外注だったので、詳しく知らないんです。あとから聞いた話なんですが、スタッフによっては256色を手打ちしていた人もいたという話は聞きましたね。その後、『鬼畜王ランス』の開発の後半くらいでフルカラーに移行したんですが、その時は細かな調整部分だけ手打ちしていたようです。

若木:
 アリスソフトさんは新しい技術を取り入れるのが早かったんですよね。

──以前TADAさんに伺ったのですが、ご自身が新しいパソコンやツールを手に入れると、それをゲーム制作に導入したくなるとのことでした。

MIN:
 ああ、それはあったかもしれませんね。開発本部長が「これでいく」と言えば、そうなりますよね。僕の印象に残っているのは、256色からフルカラーになったら、やたらセーブ時間が長くなったなってことでした。

──その分、表現の幅は広がったのではないですか?

MIN:
 彩色の部分ではそうですね。ただ、やはり最初の頃は暗中模索でした。均一に、さらにきれいに見せるにはどうするかというところで、スタッフはかなり試行錯誤したと思いますよ。

若木:
 それでもMINさんの色指定の再現度はかなり上がりましたよね。

MIN:
 それはそれで、いろいろ思ってしまうんですけどね(笑)。

若木:
 当時のアリスソフトの柔らかい塗りというのは独特の感じがありましたけど、それは色指定の時に始まっていたのかもしれません。

MIN:
 一時期、影指定さんもいて、その間の揺らぎのようなものが柔らかさになっていたかもしれません。ベルトコンベヤー式に画一的に塗りを行なっていたら、その揺らぎは出なかったかもしれません。

──例えば今、アナログでもデジタルでも好きな方で描いていいです、というオファーが来たら、どちらで描かれますか?

MIN:
 個人的な楽しみならアナログで描きますが、仕事でということならリスクを減らしたいのでデジタルですね。デジタルは失敗しても戻れますが、アナログだとマスキングがちょっとずれただけでアウトですからね。実際、アリスソフトでもそれで2回ほどやらかしているんで(笑)。

──アリスソフトさんは発売日を延期しないので有名なブランドですから、そこは大変そうですね。

MIN:
 なので、かなりマージンを取って描くようにしています。

──趣味で描くならアナログですか?

MIN:
 それはそうですが、面倒くさいですね。というのも、デジタルはパソコンの前に座ればすぐに絵にとりかかれますが、アナログはそれなりの儀式がいるんですよ。

──儀式ですか。

MIN:
 画材を用意するのはもちろん、色を作ることもするし、湿度によって紙のインクの乗り方や吸い方も変わって来るから、それを把握しなければいけない。そういう儀式が大変なんです(笑)。

「仕事を始めた当初は、美少女ゲームがこんなに盛り上がるなんて思っていなかった」

──ぜひアナログの絵を描いていただきたいですね。編集部に予算を計上してもらいましょう(笑)。さて、そんなMIN-NARAKENさんの所属するアリスソフトさんやほかのブランドさんの活躍もあって、1990年代後半に、美少女ゲームは一気にブレイクしますよね。その盛り上がりというのは、MIN-NARAKENさんは感じられていましたか?

MIN:
 感じましたね。僕はゲーム情報を仕入れるのが美少女ゲーム雑誌だったのですが、その雑誌が一気に増えたじゃないですか。それで「この業界、盛り上がっているんだな」って思いました。友達でもパソコンを持つ仲間が増えだして、普通にエロゲーの話をしているんですよ。それを聞いて、広がっているんだなって実感しました。

若木:
 MINさん、コミケにも出られていますよね。一時期、美少女ゲームの原画を描くと人気になって、コミケで壁になるみたいな時期があったじゃないですか。アリスソフトといえば、その最前線。そこで原画を描いていたら、コミケでも大人気だったんじゃないですか?

MIN:
 2000年に自分のサークルで初参加した時はひどかったですね。部数が少ないのに、人だけがやたらめったらきて。あっという間に売り切れて「(危険発言)!」とか言われましたよ(笑)。これはアカンと思って2年くらい間をあけました。

若木:
 アリスソフトさんって、コミケでの部数上限があるって聞いたんですけど。

MIN:
 当時はありましたね。1000部でした。

若木:
 それはあっという間ですね(笑)。

──それにしても初コミケが2000年とは、ずいぶん最近ですね。

若木:
 そうそう。

MIN:
 いや、それでも20年前ですから(笑)。

若木:
 20年前が最近に思えるんですよ(笑)。というか、MINさんは30年以上もアリスソフトで原画家をやっているわけで、こんなに長く第一線で続けている人は少ないわけですよね。そんな中で、先ほどの質問なんですけど、美少女ゲーム業界の盛り上がりをどう感じていたのかなあ、と。

MIN:
 1995年には自社ビルが建つんですから、盛り上がっているのはもちろん分かっていました。でも仕事を始めた当初は、こんなに盛り上がるなんて思っていなかったですよ。

若木:
 MINさん自身も、「こんなに続けるとは思わなかった」って言ってましたよね。

MIN:
 正直、こんなにもたないと思っていましたからね。だって、当時は本当にパソコンが高かったじゃないですか。そう簡単に普及しないと思っていたんですよね。しかも大枚叩いて美少女ゲームって、ありえないって思っていたんですよ。ところが時代の流れに乗って、あれよあれよという感じですよ。

──その盛り上がりの中でMIN-NARAKENが自分もいけるかも?と思われたのは?

MIN:
 ないですね(笑)。ないというか、思う間もなく仕事が続けて入ってきて。「仕事がくるから、やらな!」って感じでした。だから自分の実感というより、周りを見て盛り上がってきているから、自分もここで行けるかな?って感じたのを覚えていますね。

若木:
 MINさんの個人的な感覚でいいんですが、美少女ゲームってなんでシーンの真ん中になったんだと思います?

若木:
 でも確かにそういうところはありましたよね。僕も初めて美少女ゲームを遊んだとき、本当に楽しかったんです。ワクワクがすごかった。さっきMINさんが「絵を描く儀式」って言われていましたけど、美少女ゲームにもそういうのってありましたよね。ドライブにFDを入れて、ガチャガチャガチャって音を聞いてから……みたいな(笑)。

MIN:
 わかります、わかります(笑)。僕はそれを知らずにこの業界に来たわけで、仕事をしながらその楽しさを知っていったわけです。だから、お客さんの反応を見て「こんなふうに楽しんでくれる作品作りにかかわれているんだなあ」という喜びがありましたね。

──その盛り上がりを作り上げてきた制作側も、遊んでいたユーザー側も、ほぼ同じ年齢層だったというのも、盛り上がりを作った印象がありました。

若木:
 そうなんですよ。例えば僕とMINさんはほぼ同世代でしたしね。

──実は僕とTADAさんも、ほぼ同い年です。

MIN:
 そうなんですね(笑)。だから自分が作りたいものとユーザーが求めているものが明確につながるんですよね。さらにその当時であれば、極論を言えばパソコン1台あればゲームを作れた。だからひとり絵を描ける仲間がいれば「お前絵を描けや。俺がプログラム組むから」って作れちゃう。それがソフトハウスだって僕は思っているんです。

若木:
 良くも悪くも1990年代は作品やブランドの個性がすごく強かったですよね。

MIN:
 やはり今より作りやすかったからですよ。

若木:
 確かに当時は年に数本出すのが当たり前でしたもんね……って、これもうじじいの懐古話みたいになってしまって申し訳ないんですが(笑)。

──いえいえ、面白いと思いますよ。

若木:
 ただね、それだけ盛り上がった時期のある美少女ゲームですが、僕はアリスソフトがなければ、あの盛り上がりは生まれなかったと思うんですよ。

MIN:
 そう言ってもらえるのはありがたいです。エルフさんとかF&Cさんとか初期から頑張られてきた人気メーカーさんもある中で、そういうふうに認知していただいているのは、スタッフとしては嬉しいことですね。

──確かに当時は「東のエルフ、西のアリス」などとも言われていました。でも結局30年以上も美少女ゲームを作り続けている会社って、アリスソフトさんくらいしかないんですよね。なぜこんなに長く作り続けてこられたのでしょうか?

MIN:
 やはりTADAの方針だと思います。ゲーム性にこだわって作り続けたこと、その中でも自分の遊びたいものや作りたいものを作り続けてきたこと。そういう部分にこだわり続けたことが、結果として受け入れられ続けてきたのではないでしょうかねえ。それとアリスソフトは結構幅広いジャンルのゲームを作っているんですよ。その柔軟性もよかったのではないかなあと僕自身は思っています。あとはスタッフが作りたがりというのもあるんじゃないですか(笑)。

──これはあくまで印象なのですが、アリスソフトさんって主要スタッフが長く在籍していますよね。

MIN:
 そうですね。それもやはり作りたがりの人間が多いから、抜けないんだと思います。そういう会社で美少女ゲーム制作にかかわれていることはありがたいですね。

若木:
 結構分裂したり、メインスタッフが独立したりって聞きますし、もちろんアリスソフトさんでも抜けられた人はいるんでしょうけど、会社としてまとまっている印象があるんですよね。統一感があるというか。

MIN:
 そうですね。もちろんいろいろあったりもするんですけど(笑)、比較的まとまっている印象を持たれているみたいですね。

若木:
 MINさんは今もアリスソフトの社員ですが、以前と比べて会社の雰囲気はいかがです?

MIN:
 うーん、そりゃ僕が入ったころに比べたらアットホーム感は薄くなって、ゲーム会社というか企業っぽいところは感じますけど。昔のままだなって感じる部分も多いですよ。そこは上手に会社の歴史を引き継いでいるというか。やっぱりみんな、仲がいいんでしょうね。

若木:
 そこがすごいですよね。ふつうは売れると、人気スタッフへの嫉妬だとか、偉い人が仕事をしなくなるとかで仲が悪くなったりするじゃないですか。お金で引っこ抜かれる人が出てきたりなんて話も聞くんですけど、ずーっと仲良くやっているっていうのはねえ。ゴシップの少ない会社ってイメージがありますね。

MIN:
 そこは会社の上層部に感謝しないといけませんね。そういうことが出てこないように運営してくれているんでしょう。まあ、僕が言うことではないですけど(笑)。


「絵を描く」というより「キャラクターを作っている」

──会社の内情についてはあまり深く掘り下げると、後のチェックで「ここからここまでは削除で」とか言われてしまうのでこの辺にしましょう(笑)。そんな30年間、美少女ゲームで絵を描かれてきたわけですが、今後の美少女絵のトレンドは、どのように変化していくと思われますか?

MIN:
 これは難しいですよね。僕もわからないんですよ。「これからの絵柄って、どうなっていくと思う?」って僕が聞いているくらいですから。だから予想つかないところですよね。

若木:
 でも今の美少女絵のトレンドって、MINさん絵に近づいてきていません?

MIN:
 そうですか? なんか2周くらい回って帰ってきた感じですかね(笑)。

若木:
 最近女の子の目、めっちゃ小さくなってきていません?

MIN:
 そうですね。全体に淡泊になって、アウトラインをシンプルにしたりしている人の絵もよく見かけますよね。
 まあ、これからは個性的な絵柄が評価されるんじゃないかなあと思っています。結局そうじゃないと、平坦な絵ばかりになってしまう。もちろん突き抜けきれない個性だと受け入れられないでしょうけど、ひとたび突き抜けたら、それが大きな魅力になっていくと思うんです。これは絵柄にしても、キャラデザインにしても、ネタ的にしても、あるんじゃないでしょうか。

──「理想の美少女像」というのではなく?

MIN:
 そうですね。それぞれのシーンの中で、突き抜けた魅力を持つ絵が引っ張っていくんじゃないかなあと思っています。

──そういう状況の中で、MIN-NARAKENさんの絵は、いつ見ても古さを感じさせません。まさにトレンドの中にある印象があります。これを維持するのはどのようにしているんでしょうか?

MIN:
 1989年から絵を描いてきましたけど、当時トレンドとか全く意識していなかったんです。結果、10数年たって見直して、自分でも「あの頃によくこんな絵を描いていたな」って思うことはあるんです。もともと時代に合わせるのではなく、自分の描きたいものを描いてきた結果だと思いますね。
 ただ、最近のことで敢えて言うなら、なるべく若いイラストレーターさんと話をしたりはするようにしていますね。そういう人たちが何を見て、何を思って絵を描いているのか。もちろん僕が描いている以上は僕の絵になるんですが、そうした情報に常に触れるようにはしています。その結果として「古さを感じない絵」と言ってもらえるなら、僕としてはとてもうれしいですね。

──そんなMIN-NARAKENさんがかわいい女の子を描くときに一番大切にしているのは、どういうことろですか?

MIN:
 若木さん、どうです?

若木:
 ……わかんないなあ(笑)。

MIN:
 そんなこと言わずに教えてくださいよ。僕が聞きたい質問ですよ(笑)。

若木:
 僕は漫画家なのでお話もあってのかわいらしさじゃないですか。MINさんは1枚絵だけでかわいい女の子を描き続けているでしょう。これはすごくエネルギーがいることなんじゃないかと思うんですよ。

MIN:
 僕がここ数年来考えていることがあるんです。僕は絵というのは。技術的に圧倒すればお客さんはついてくると思っていた時期があったんです。でもそれは間違っていて、技術で引き付けられるのはある一定の部分までで、それ以上を求めるのであれば、キャラ付け──絵柄だけでない、そのキャラから滲み出す魅力のようなものが大事だと思うようになったんです。
 だから最近は、「この女の子はどういう性格で、どういうしぐさをして、どういうしゃべり方をするのか」というような内面的な部分を、しつこいくらい頭の中で想像してから、女の子を描くようにしています。そうすることで、単に「かわいい女の子の絵」というだけでなく、そこからキャラの魅力がにじみだしてくるようになるんだと思っていますし、それが無いとなにより自分で描いていて面白くなくなってしまうんですよね。

──ある意味、キャラクターづくりとしての絵ということでしょうか。

MIN:
 まさにそうです。若木さんが漫画で描かれているように、総合的なキャラクターづくりをしないと、かわいい女の子の絵というのは完成しないと思います。それができて初めて絵に深みが出ますし、あとから見直したときに「ああ、こういう女の子を描きたかったんだな」って納得できるんです。これは僕が「楽しんで絵を描くにはどうしたらいいか」を考えた結果の方法論なんですけどね。

若木:
 ものすごく腑に落ちるんですけど、長いこと絵を描いていると、キャラづくりのアイデアの引き出しも涸れていきません?

MIN:
 涸れますよ、30年もやっているんですから(笑)。

若木:
 その涸れている中からみんなに受け入れてもらえるレベルまでもう一遍持ち上げていくためのアプローチってなにかされたことはあります?

MIN:
 僕の場合は自分で楽しんで描かないと長続きしないというのを考えているんです。だから自分が楽しんで描けるのはどんな女の子なんだろう、どんなメカなんだろうというのは、常に考えて描いています。そうすることで、自分の描いている絵に深みが出てくる。だからやはり、「絵を描く」というより「キャラクターを作っている」ということを考えていることが多いですね。涸れたのを補うとするならば(笑)。

──「キャラを描く」のではなく「キャラを作る」というのは、深い言葉ですね。

MIN:
 僕は以前、線を描くのが本当に好きで、線さえ描けていれば、どんな絵でも描けると思っていました。でも、長く続けていく中で、それだけではダメだと気づいたんです。絵に対する思い入れや愛情がなければ、喜んでもらえる絵は描けない。思い入れや愛情の有無って、きっと絵を見た人に伝わってしまうんですよ。もしも自分の中でアイデアが涸れていると思うなら、より愛情と思い入れを込めて描く必要があると思います。

──やはり気持ちですか。

MIN:
 そうですね。僕が迷った時にいつも思い出すのは、自分が仕事を始めたとき、「なぜ絵を仕事にしようと思ったのか」なんです。いわゆる「原点」ですよね。「あの時はがむしゃらに描いていたなあ」とか「絵を描くのが楽しかったなあ」とか。そしてその当時の自分を憑依させて描く(笑)。そういうテクニックを身につけました。

「絵を描くのが辛くなったらツーリング行けばええやん」

──これって、とても大事なお話ですよね。今、絵を描くことに悩まれている方には、ある種の福音なのではないでしょうか。

MIN:
 僕もかなり悩んでいましたから。絵を描く意欲をそがれることってけっこうあるんですよ。技術的な限界も感じますし。そんな中でも描くとなれば、楽しみながら描くしかない。そのための環境や状況は、結局自分で整えなければいけないんです。それができなかったら、僕はとっくにこの業界から去っていたと思いますね。

若木:
 MINさん、ツーリングとかバンバン行くじゃないですか。ああいうのも、絵を描くのが楽しいって気持ちを維持するのに重要なんですか?

MIN:
 大事ですね。煮詰まっているのにしがみついても、いいことはないと思うんですよ。絵を描くのが辛くなったらツーリング行けばええやん、ドライブ行けばええやん、プラモ作ればええやんって思える人間なんで。それで気分が乗ってきたら、絵に向かえばいいんです。

若木:
 やっぱり気分転換は大事ですよね。

MIN:
 大事ですよ。絵に悩んでいるときに、絵のことばかり考えていたら精神を壊すと思うんです。考えても進まないし、描いても気に入らないから結局進まない。だったら一度、絵から離れればいいんですよ。結局「描きたい気持ち」が一番大事だから、それを取り戻すことが大切なんだと、これは今でも思っています。

若木:
 それ、実践したいですよねえ。なんか自信がなくなる時ほど練習しなきゃとか思ってしまいますけど、「絵を描きたい」という渇きのようなものを取り戻すことが大事なんですよね。

MIN:
 僕は心の持ちようで絵がガラッと変わってしまうんですよ。だったら、気持ちよく、楽しく絵を描きたいと思いますから。

──それができるというのも、アリスソフトさんという環境ならではなんでしょうね。

MIN:
 それは多分にあります。だから僕は会社には感謝しています。この方法で絵を描かせていただけましたから。

若木:
 だとしたら、MINさんがどこかのタイミングでフリーになっていたら、どうなっていたのでしょうねえ。

MIN:
 たぶんね、運送屋をやっていると思いますよ(笑)。

若木:
 インタビュー序盤のフラグを回収しましたね(笑)。

MIN:
 フリーは無理だと思います。多分、仕事を維持できないと思いますね。会社にいるから、絵を描き続けられているんだと思います。

若木:
 じゃあ、あのタイミングでアリスソフトに入社してよかったんですね。そうじゃなければ運送屋でトラックを運転しながら、pixivに絵を上げていたりしていたかもしれないですね(笑)。

MIN:
 そうね。同人はやっていたと思います。あとは運送屋のトラックを全部痛トラックにするとか(爆笑)。それで有名になったりしていたかもしれませんねえ。

──そういえば、一時期アリスレーシングというチームがありましたよね。

MIN:
 ありました。あれは楽しかったですねえ。アリスソフトからは絵を提供するという形での参加だったので、僕も絵を描いて、サーキットに応援にも行きましたよ。

若木:
 いろいろやっていましたよね。そういえば『大悪司』とかってかなり売れたじゃないですか。こういうときって、ボーナスとかいろいろあったんですか?

(画像はゲーム・製品情報 | アリスソフト 公式サイトより)

MIN:
 お金についてはお話しできませんが(笑)、『大悪司』の時は旅行に行きましたね。個人では泊まれないような宿に、会社のスタッフで行きましたねえ。

若木:
 そういう景気のいい話、聞きたいですよ。

MIN:
 あの頃は1週間で1万本くらいゲームが出ていましたからね。だから確かに景気のいい時期はありましたね。

若木:
 それだけ景気のいい時を経験していても、アリスソフトのスタッフさんは高級車を買ったりとかしていないじゃないですか。そこがすごいですよね。

MIN:
 全然ないですね。せいぜいガンプラくらいかな(笑)。冗談はともかく、結局みんな一番好きなのが作ることなんですよ。だからゲームを作ったことで満足して、「マスターアップした! じゃあ、旅行でも行こうか」くらいの感じでしたね。

若木:
 そんなMINさんから見て、今の美少女ゲーム業界はどうですか?

MIN:
 いやいや、それは(苦笑)。それについては若木さんの方が知っているでしょう。

若木:
 何とか維持しているかなあってイメージなんですけどねえ。

──制作費がけっこうかかる上に、売り上げは頭打ちですからねえ。人気のブランドさんはもちろんあって、そこは売れているんですけどね。もちろん明るい話題もあって、ここ5年くらいに参入してきた新規メーカーのユーザーには20代の人も3〜4割いたりするそうなんです。そういう世代にこれからも買っていただければ。

MIN:
 その意味では、これから我々も、若いユーザーさんに受け入れられるようなゲームを作り続けていかなければいけないと思いますね。

若木:
 MINさんには還暦になっても描いていただかないと(笑)。

MIN:
 ちょっと待ってください! これ本に掲載するときは、25歳って書いておいてくださいよ。年齢には厳しいですからね(笑)。

──了解いたしました(笑)。

「女性だと思っていました」とよく言われる

若木:
 今日はいろいろとMINさんの経験を伺ってきましたが、女性原画家さんもたくさんご覧になられてきたと思うんですよ。それこそ最初に指導を受けたYUKIMIさんとか。美少女ゲームで原画を描くとして、女性原画家っていかがですか?

MIN:
 線の描き方や色使いが繊細な方が多い印象ですね。というか僕は若木さんに聞きたいんですが、どうしてそれだけエロゲーをやっているのに、若木さんの描く女の子からは清楚さしか感じないんですか?(笑)

若木:
 僕、『Bible Black』とか好きだけど、絵に原画の聖少女さんの感じはまったくないですからね(笑)。

MIN:
 性的でないわけじゃなくて、女の子のかわいらしさはものすごく感じるんです。でも、滲み出るようなエロさよりも、全面的に可愛らしさが出てて、とても良いなあ、と僕は思っています。

若木:
 これ、まあまあコンプレックスなんですけど、もっとエロい絵を描きたいんですよ。ただ、『少年サンデー』には合っていたんじゃないですかね。

MIN:
 僕は若木さんがデビューする前から絵を知っていましたけど、その当時からかわいらしいなあと思っていましたね。

若木:
 そうですね。僕の絵も男感がないって言われるんですよね。

MIN:
 僕も言われますよ。「MIN-NARAKENです」って自己紹介すると驚かれるんです。「女性だと思っていました」って。よく言われますよ。

若木:
 それもMINさんが30年以上続けていられる理由なのかもしれませんね。

MIN:
 しぶといですから(笑)。

若木:
 それと1990年代の頃は世界観もハードなものが多くて、学園ものとかあまりなかったような印象があるんです。それこそバイクが似合う世界観とか。

MIN:
 シーズウェアさんとかそうでしたね。

(画像は臭作【Windows10対応】 – アダルトPCゲーム – FANZA GAMES(旧DMM GAMES.R18)より)

MIN:
 それが見えやすいんですよね。美少女ゲームの流行りというのは。

若木:
 絵柄にせよジャンルにせよ、スター原画家やヒット作が生まれると変わっていきますよね。まあ、アリスソフトはあまり学園ものを作られていませんからね。

MIN:
 学園ものだと『同級生』とか『ToHeart』のような偉大なゲームがありますからね。

 さて、実は2時間くらいお話を伺ってきているので、そろそろ締めたいんですが(笑)。

若木:
 僕もいろいろお話が伺えて、参考になりました。MINさんはイラストレーターとしてはとてもちゃんと喋ってくれるんで、ありがたいです。

MIN:
 これ、ちゃんと喋っているんですかね(笑)

──では、最後にMIN-NARAKENさんから『16bitセンセーション』の読者さんにメッセージをお願いします。

MIN:
 僕も同人誌を読ませてもらっていますが、感銘といいますか、「ああ、こういうことってあるよね」っていうエピソードが満載です。ここで描かれた時代の美少女ゲームを知らない人にも、「この頃はこうだったんだな」って楽しんでほしいです。若木先生の熱い思いが詰まった本ですので、ぜひお楽しみください。そして美少女ゲームをよろしくお願いします。

若木:
 ありがとうございました!(了)


『16bitセンセーション』試し読み1話はこちら『16bitセンセーション』購入はこちら(Amazon) アリスソフト公式サイトはこちら

#美少女 #アリス #ソフト #都市 #ゲーム


アリスソフトのMIN-NARAKENが描く美少女絵は、なぜ色あせないのか? 『神のみ』若木民喜が訊く、『闘神都市』『鬼畜王ランス』を手がけた神絵師のこだわりとは