作家・冲方丁が語る“マンガが広げた小説の可能性”から『フォートナイト』は教育だと実感した話まで【聞き手:吉田尚記】

 作家の #冲方丁 氏といえば、『マルドゥック・スクランブル』をはじめとするSF・ファンタジー作品はもとより、『天地明察』『十二人の死にたい子どもたち』といった多彩なジャンルの小説で活躍している人物だ。

 冲方氏は『蒼穹のファフナー』や『攻殻機動隊ARISE』、『PSYCHO-PASS』(第二期〜第三期)といったアニメでもシリーズ構成や脚本を手がけており、アニメファンからの信頼も厚い。また、冲方氏は過去にゲーム業界で働いていた経験があり、日本最大のゲーム開発者向けカンファレンスである「CEDEC 2014」では、基調講演も行っている。それだけに電ファミニコゲーマーの読者でも、冲方氏やその作品になじみのある人が多いだろう。

 そして今回、冲方氏の聞き手を務めるのは、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記氏だ。吉田氏はラジオパーソナリティとして活躍するだけでなく、各種アニメイベントの司会進行などでも広く知られており、アニメファンからは「よっぴー」の愛称で親しまれている。

 じつは今回、吉田氏が聞き手を務めているのには、特別な理由がある。

 電ファミニコゲーマーではAmazonと協力して、インタビュー取材の模様をはじめとした音声コンテンツを、Amazonのオーディオブック「Audible(オーディブル)」で配信することになった。

 そこで“声のプロ”である吉田氏とコンタクトを取ったところ、吉田氏自身が興味を持つゲストを迎えてそのお話を聞くという、ラジオ番組的なスタイルの企画が実現することになった。そのため今回の内容は、このWeb版の記事だけでなく、Audibleの音声コンテンツとしても楽しむことができる。

 ちなみに冲方丁氏は、以前から吉田尚記氏と親交があり、吉田氏自身によるアポイントメントで、今回ご登場いただいた。

 そんな新たな試みとして形で実現した今回のインタビューだが、収録は新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されていた2020年5月だったため、直接対面する形ではなくリモート形式で行われた。しかし、そこはアナウンサーである吉田氏によって、特殊な環境を感じさせない見事な進行となっている。

 吉田氏自身が“雑談”というだけあって、今回の収録は事前に特に内容も決めずに始まったのだが、その話題はじつに幅広い。
 作家・脚本家である冲方氏ならではのエピソードや、少年時代を海外で過ごした冲方氏から見た日本語と日本文化について、そして日本と海外の小説観の違いから、ゲームと教育の関係まで、じつに示唆に富むものとなっている。

 しかし何より興味深いのは、コロナ禍に見舞われた2020年の日本を洞察する鋭い言葉の数々が、冲方氏と吉田氏の会話の上ではあくまでも軽妙な、誰にでも分かりやすい表現で語られている点だ。これこそがまさに、吉田氏の言う“雑談”の持つ力だろう。

 ここでは文字による記事として読みやすいものとするために、適宜、発言の語順を入れ替えたり、語尾などの言い回しを整えたりといった編集を行っている。だが、お2人の軽妙な語り口を存分に味わうためにも、Audibleの音声もぜひ併せて楽しんでいただきたい。

本インタビューのAudible版はこちら

取材/TAITAI
文/伊藤誠之介
編集/クリモトコウダイ


音声だけのラジオは、頭の中に映像が浮かばないと聴き続けられない

吉田氏:
 今、Audibleで聴き始めてくださっている方、いらっしゃるはずですね。ニッポン放送というラジオ局でアナウンサーをしております、吉田尚記です。
 アナウンサーというとネクタイを締めて、みたいなイメージがあるかもしれませんけど、僕はラジオパーソナリティと言ったほうがいいのかなと思います。

 1回目でもあるので企画意図の話をしますが、ここがムダで、冲方さんの話を早く聞きたいという方は、ぜんぜんここは飛ばしていただいてかまいません。

 一応説明すると、僕がクリエイターの人と飲み会とかで聞かせてもらっている話、それはムチャクチャ面白いのに、世の中にその話を聴けるフレームがどこにもないぞと思いまして。そういうものを届けられたらいいんじゃないかと、ずっと思っていたんです。

 そうしたら「電ファミニコゲーマー」という、メチャクチャ濃い目の、おもにゲームを扱っていらっしゃるサイトがあって、そこにはインタビューがゴンゴン載っているんですね。
 その電ファミさんとAudibleさんが何か新しい企画をやるよ、ということで、僕のところに企画を持ち込んでくださいまして。

 「Audibleで音楽以外の音声をなんでも配信する」という話を相談いただいた時に、僕はラジオパーソナリティ、つまり雑談の専門家みたいな気持ちが、自分ではありまして。
 その雑談は本を読んだぐらい面白いのだから、なんとかして有料で食えるようにならないと、こういう人たちの仕事が今後成り立っていかないぞ、と思いまして、今回の取り組みに参加させていただいたという状況です。

 で、ここからは言ってもしょうがないボヤキではあるんですけど、「じゃあ、やるぞ」と態勢が整った途端に、コロナですよ。なので、普通にスタジオで録るつもりだったんですけど、それができないので。
 今は僕、ニッポン放送の会議室にいて、誰も入ってこない状態にして、パソコンにマイクをつないでしゃべっているという状況なんですね。だから今日、お話を聞かせていただくクリエイターの方も、ご自宅……なのかな、仕事場なのかな、にいらっしゃって、パソコンの前にいるという状態なんですよね。

 ということで、ここから出てきていただきましょう。冲方さん、お願いします。

冲方氏:
 はい、よろしくお願いいたします。作家の冲方丁です。

左から冲方丁氏、吉田尚記氏

吉田氏:
 今一応、映像だけ、ビデオ会議アプリでつなぎながらなんですけど、冲方さん、めちゃくちゃリラックスモードですね。

冲方氏:
 えっ、そうですか?

吉田氏:
 髪を後ろでひとつにまとめて、めっちゃ部屋着ですよね。

冲方氏:
 部屋着です(笑)。これは仕事着ですね、むしろ。1日10時間以上座っているので、身体をラクにしておかないと、壊れるので。

吉田氏:
 たしかに。そして後ろに見えているのは本棚?

冲方氏:
 そうです(笑)。リアルお家描写に今、なってますけど。

吉田氏:
 ラジオって最終的に、映像が浮かばないと聴き続けられないんですよ。

冲方氏:
 ほぉ、なるほど。たしかに。

吉田氏:
 知っている人との電話って、いくらでもできるじゃないですか。あれは声色と、その人の視覚的刺激みたいなものが、完全にシンクロしているからなんですよね。
 知らない人の音声をずっと聴き続けるのって、すごくツラいんですよ、じつは。

冲方氏:
 へぇ〜。

吉田氏:
 なので、ラジオの聴取率にいちばん関わってくる数字って、他のメディアでの知名度なんですよ。それは単に有名で人気があるからということじゃなくて、一声発した瞬間に、その人の姿や形をイメージできるからなんです。

冲方氏:
 なるほど。じゃあ吉田さんは、口頭でいつも描写されているんですね。

吉田氏:
 そうです。口頭のイメージはわりと公知なものというか、その時代の人たちがみんな、いろんな人たちの声というものを共有マップとして持っている感じですね。

冲方氏:
 じゃあ、すいません。せっかく我が家を描写していただいていたのに、恥ずかしくてさえぎってしまって(笑)。

優秀な作家や編集者は、酔っ払って盛り上がった席での話を覚えている

冲方氏:
 “ステイホーム”って言われてもね、もう20年やってますからね。これ以上何をすればいいかなと思ったんですけど、特にやることがない。

吉田氏:
 逆に言うと、打ち合わせとかで今まで、外に出ることが多かったんじゃないかと思いますけど?

冲方氏:
 打ち合わせはしょっちゅう外に出てましたね。アニメの本読み、小説の打ち合わせ、なんやかんやのミーティングとか。逆にそれがさっぱりなくなったので、超快適です。

吉田氏:
 今後もTV電話というか、こういうビデオ会議システムで全部処理してほしいと?

冲方氏:
 昔から「Skypeミーティングでいいじゃないか」と、ずっと言っていたんですよ。
 ある作品で、アメリカのチームと日本のチームで打ち合わせをしたんですけど、アメリカの人たちはみんなSkypeで参加じゃないですか。日本人だけ同じ会議室に集まってSkypeミーティングですよ。意味なくない? と思ってですね。

吉田氏:
 どっかに1カ所、Skypeが入っちゃったら同じですもんね。

冲方氏:
 ねぇ。「べつにみんなでSkypeをやればいいじゃないか」って言ってるんですけど。やっぱり日本人のみなさんはね、集まるのが仕事として大事だという意識が強かったんでしょうね。

吉田氏:
 今回、強烈にその常識が変わりましたね。

冲方氏:
 いやもう、素晴らしいことだと個人的には思っています。
 往年の作家さんは「編集者と一緒に飲むのが半分仕事」みたいなことを強弁していましたけど、絶対仕事になってないと思うんですよ。

吉田氏:
 飲んだら仕事にならないですから(笑)。

冲方氏:
 作家を気持ちよくさせてね、酔っ払わせて、「先生、来月の原稿、お願いしますよ」「うぅ、わかったよ」とか言わせるために飲ませるっていうね。
 それよりかは、オンラインミーティングで必要なことだけを話したあと、余談雑談は別枠でっていう。メリハリがついて、たいへん僕は快適ですね。

吉田氏:
 そうですね。大人は理由がないと、ビデオミーティングをしないっていうのもありますからね。ここまでの話が本編、ここからはプラスアルファだよっていうのが明確になった感じは、たしかにありますね。

冲方氏:
 ありますよね。僕はすごく気分が良いです(笑)。

吉田氏:
 僕は、プラスアルファが非常に重要なラジオの世界で生きているので。ほとんどプラスアルファだけでできていますからね、ラジオって。必要な話はほとんどしてませんから。

冲方氏:
 でも、先ほどおっしゃっていましたよね、「雑談の中に面白く光るものがある」って。僕もずっと思ってましたけれども。それをやっぱり汲み取る人と汲み取らない人とで、作家もだいぶ差が出ますよね。
 メモを取る習慣がある人とない人で差が出るんじゃないかと、新人の頃はよく言われていましたけれども。酔っ払って面白くなって盛り上がった時に、その盛り上がった内容を覚えている編集者は、やっぱり企画力がありますね。

吉田氏:
 あ〜、すっごい分かる気がする。

 酔っ払った時に内容を、普通はメモを取れば覚えられるんですけど、ナチュラルに覚えられる人もいて、その人たちは優秀な編集者だった、という感じですか?

冲方氏:
 そうですね。酔っ払って盛り上がって話してるじゃないですか。その時にすかさずナプキンとかにメモして帰る人がいるんですよ。それで翌日メールが来て。「あっ、こんな面白い話をしてたのね。じゃあやろうよ」みたいな。そういうことがしばしばありますね。

 あるいは、アニメの脚本のコンセプトとか、ちょっとシーンとかセリフとか、会議とかで一回緊張の場が解けて、「飯でも食いますか」という時にふと出てきたりするんです。だいたいそういうのは、僕はメモするんですね、その場で。

アニメの舞台挨拶で観客の表情を見て、続きの作品でのセリフのつなぎを変えていた

吉田氏:
 『攻殻機動隊ARISE』【※】というアニメ作品があって、これは劇場公開されていて。舞台挨拶がけっこうな回数あったんですけど。

※『攻殻機動隊ARISE』……士郎正宗氏のコミックを元に制作されたアニメ映画。草薙素子の過去と“攻殻機動隊”創設の物語が描かれている。2013〜2014年に全4章が公開されたほか、2015年には再構成されたTVシリーズ『攻殻機動隊ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE』も放映されている。本作で冲方丁氏は、シリーズ構成・脚本を手がけている。
(画像はSPECIAL | 攻殻機動隊ARISE -GHOST IN THE SHELL-より)

冲方氏:
 ありましたね(笑)。

吉田氏:
 そちらは冲方さんが脚本を担当されていて……あ、言ってなかったですけど、僕はアニメ・ゲーム・マンガのオタクを30年やっている人間なので(笑)、そういうものの司会をよくさせていただいていて。
 いろんな劇場をみんなで一緒に回るので、マイクロバスに監督からプロデューサーから役者さんからみんな乗って移動している時に、冲方さんがすごく小さな紙に、ずっとメモし続けているなと思いながら。

冲方氏:
 『攻殻機動隊』の話になると、どこまで言っていいのか分からない話がいっぱいあるんですけど(笑)、当時ですね、諸事情でコロコロ尺が変わっていたんですよ。
 全6話で依頼をいただいたら「4話にしてください」「やっぱり足らないから2話足してください」って、6話じゃねぇかよって(笑)。その後で「残り2話は劇場版にしましょう」みたいな。

 そうなると前後のセリフのつなぎがどんどん変わってくるわけです。舞台挨拶で回っていってお客さんの反応を見た時に、「やっぱりこういうつなぎ方にしようかな」とか。
 せっかく生でお客さんの反応だとか表情だとかを見られるので、「このキャラクターのこういうところが好まれるんだったら、このシーンのつなぎはこういうふうにしたほうがいいな」とかですね、ずーっとやってたんですよ。

吉田氏:
 僕は今、ふたつ驚きがあって。冲方さんがそんなにお客さんの反応を見ていたんだ、という驚きがまずひとつで。もうひとつが、その時はまだできあがっていなかったんだ、という衝撃が(笑)。

冲方氏:
 まぁ、今だから言っていいだろうと(笑)。

吉田氏:
 もうできあがってますからね(笑)。間違いなくできあがっていますから、いいと思いますけど。

冲方氏:
 制作上の綱渡り的な部分はね、雑談としてそれはそれで面白いと思うんですけど。逆にリアルタイム感が出ていたというのは、僕にとっては有意義でしたね。
 やっぱりこう、脚本の仕事って書き文字ですので、実際に読まれたりとか、その読まれた文章を聞いた人の表情の変化っていうのを目の当たりにするのは、非常に新鮮で。
 一時期、アニメーションのアフレコに行くたびに、ものすごく困ったことがあったんですよ。

吉田氏:
 困った?

冲方氏:
 アニメーションのアフレコの現場というと、セリフのニュアンスをどんどん調整していくじゃないですか。音響監督がこういうニュアンスで、ああいうニュアンスでって。あるいはNGがいっぱい出る。
 そうやって録り直しするたびに、違うシナリオが頭の中に出てきて、もう死にそうになったんですね。

 役者さんのちょっとしたニュアンスの違いで言葉の意味合いが変わって、そうなるとこのキャラクターはこういうふうに動くし。収録テストとか本番とか毎回毎回、役者さんのニュアンスひとつで、頭の中で次のシナリオがどんどんどんどん変化するので。
 アニメーションの仕事をしたての頃は、頭が痛くなっちゃってましたね、アフレコに行くたんびに。

(画像は声優のイラスト | いらすとやより)

吉田氏:
 普通は企画意図があって、それが脚本になっているわけで。音響監督さんは正解を知っていて、その正解に役者さんを導いていくのかな、と思っていたんですけど。

冲方氏:
 必ずしもそうじゃないものがありますね。そこが役者さんの力でもあるっていうんですか。「あっ、こういうふうにきたんだ」って。
 それを活かす場合もあれば、おっしゃるとおり、音響監督さんや監督さんが、落としどころに導く場合もありますし。やっぱり生ものなので、現場に行くことによって変化するものって、非常に多いですね。

吉田氏:
 聞いていると、冲方さんって、作家さんとしてはめちゃくちゃフレキシブルなタイプなのかなって。

冲方氏:
 (笑)。
 まぁ、最初にものすごく固くイメージを作って、それを押し通す場合もありますね。そうしないと終わらない場合とか、ブレちゃう場合とかもありますけれども。
 やっぱりコンセプトって叩き台なので、そこから作品が生き物として輝いてくるには、リアルタイムのエネルギーを吸収することも必要だと、僕は思っているので、積極的に変えていきますね、僕の場合は。

吉田氏:
 それに、わざわざ舞台挨拶のお客さんの反応まで、クリエイティブに取り込まれているとは。

冲方氏:
 (笑)。まぁでも、舞台挨拶は何日も拘束されるわけじゃないですか。それで大勢の方々の表情を見て取るわけじゃないですか。なんかもったいないというか、使わないともったいないと。
 それこそ「雑談をお金にしたっていいじゃないか」というのと、同じような感覚かもしれないですね。

“空気を読む”日本語は、時代が移り変わると文章の意味が分からなくなる

吉田氏:
 今までにも何度か、冲方さんに話を聞かせてもらっていて。その中で「マンガがあることによって、じつは小説がすごく可能性を広げてもらっている」という話をされていたことがあって。
 あれを今、もう一度ここで説明してもらっていいですか?

冲方氏:
 もともとはですね、小説にはこういうことしかできない、映像では、マンガではこういうことが得意だからやる、みたいな常識があったわけですけれども。
 それがメディアミックスが発達したことによって、たとえば心理描写ですね、それは小説のものだと思われていたんですけど、マンガでも十分できるじゃないかと。そうなってくるとマンガができることに対して、小説は本質的に何ができるのか、何をすべきなのかと考えさせられるわけです。

 これはもう、各メディアが接近して同じネタをどんどん扱うようになってくると、それぞれの持ち味というのもどんどん進化していくのだな、というのが僕の実感ですね。

(画像は漫画・小説・音楽・映画のイラスト | いらすとやより)

吉田氏:
 それで今の現状だと、小説の持ち味って何です?

冲方氏:
 もうオールマイティになんでもできるようになってきましたね、小説は。それはなぜかっていうとですね、先ほど吉田さんもおっしゃったように、想像できるんですよ、いろんな人が。
 たとえば「無数の群衆」とかですね。これはなかなか想像できる人とできない人がいたわけですけれども。

吉田氏:
 あっ!

冲方氏:
 たとえば映像として知っていたり、マンガの描写としてしていたりすると、たった一言で説明が済んじゃうんですね。みんなが映像のビジュアルを共有してくれているので、ちょっとした文章の描写が、オールマイティに発揮されるようになったわけです。

吉田氏:
 たとえば僕が江戸時代の農村に生まれていたとしたら、人がいっぱい集まっているところを一生、一回も見ないで終わる可能性が十分にあるわけですよね?

冲方氏:
 そういうことです。

吉田氏:
 村人が100人いたとして、100人以上の人間が集まったところを見たことがないってこともあり得るわけですよね。

冲方氏:
 たとえば僕の『マルドゥック・スクランブル』【※】という作品があるんですけど、これの初稿を上げた時に、編集者から「銃撃戦の最中になんで跳んだり跳ねたりしなきゃいけないんだ。忙しすぎて、何を読んでいるのか分からない」って言われたんですね。
 ところが、しばらくしたら『マトリックス』が公開されて、同じ編集者が「やっぱりこのアクションは良いよね」って言い出したんです(笑)。

※『マルドゥック・スクランブル』……冲方丁氏が2003年に発表し、第24回日本SF大賞を受賞したSF小説。2010〜2012年には全3部作でアニメ映画化されており、冲方氏が自ら脚本を担当している。
(画像はマルドゥック・スクランブル The 1st Compression─圧縮 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA) | 冲方 丁 | Kindleストア | Amazonより)

吉田氏:
 なるほど。『マトリックス』が頭の中にあるから。

冲方氏:
 あるから想像できるんですよ。それまでは想像できなかったんですね。

吉田氏:
 それはいちばん初めに僕が言った、「人間はビジュアルイメージがないと音声を聞き続けられない」という……

冲方氏:
 たぶんそういうことなんだろうなと、今、思いました。面白い共通点だなと、今、すごく思いましたね。

吉田氏:
 そういえばたしかに、ラジオと小説は似ているところがありましたね。今だとそれこそ、2カ月前に放送で「zoom」と言っても、誰も分からなかったんです。

冲方氏:
 そうそうそう。

吉田氏:
 それが今「zoom」と言ったら、ほとんどのオフィスワーカーの人たちは、TVの画面に分割で人の顔が並ぶってイメージできちゃうようになっちゃいましたからね。

(画像はオンライン会議のイラスト | いらすとやより)

冲方氏:
 だからこれがどんどん一般化していくと、SFなんかは本当に便利ですね。それまでは「映像や文章が映る板」みたいな描写をしないと分かってくれなかったんですけど、今は「タブレット」と言えば、何を持っているか分かりますもんね。

吉田氏:
 でも、それってイコール、今の小説っていうのはほんの10年、20年前の人すら、読んでも分からない可能性がある?

冲方氏:
 そうですね。そういう意味で言葉というのはどんどん変わっていくんですよ。
 特に日本語の特徴として、主語がないんですね。たとえば「君が好きだ」って言葉があるじゃないですか。主語は何だと思います?

吉田氏:
 「私が」じゃないですかね。

冲方氏:
 「君が好きだ」って言うと、すべての主語が当てはまっちゃうんですよ。

吉田氏:
 えっ!?

冲方氏:
 「彼は君が好きだ」。

吉田氏:
 あっ、なるほど。

冲方氏:
 「君のことが大好きだ、あの人が」みたいに、主語を変更できる。
 主語をすっ飛ばして、なんで文意が成り立つかというと、みんなの常識なんですね。「空気を読む」というのはそういうことなんですよ。主語がなくても成り立つコミュニケーションを取るっていう。
 誰が、何を、どのように思うべきで、どう行動すべきかということが全部決まっていると、こういった主語のない文章が成り立つんですね。で、日本語というのは常に、時代時代ごとの常識を大前提とした文脈で文章を書いていますので。

 英語はぜんぜん違うんですよ。500年前の英文とか、普通に読めるんです。主語がはっきりしているし、なぜその人がそういう行動をしたのか、はっきり明記していますから。日本語の場合、ぜんぜん書かないんですよね。

吉田氏:
 たしかに。「男もすなる日記といふものを」【※1】って、いきなり常識を提示している古文は読めますけど、「春はあけぼの」【※2】とか、いやいやいや、って感じですよね。

※1 「男もすなる日記といふものを」
平安時代に紀貫之が執筆した『土佐日記』の冒頭の一節。土佐から京へ帰る旅路の様子を、当時の宮中女性が使用した仮名交じりの日記形式で綴ることが表明されている。

※2 「春はあけぼの」
平安時代に清少納言が執筆した『枕草子』の冒頭の一節。「春は明け方の頃が良い」という清少納言自身の美的感覚が簡潔な文章で語られており、古文の代表的フレーズとなっている。

冲方氏:
 平安時代の文章の古文・漢文のうち、古文が特に苦手な方っていらっしゃると思うんですけど。

吉田氏:
 漢文よりもね、はい。

冲方氏:
 それは主語がはっきりしていないからなんですよ、古文は。誰が何の話をしているかというのを一切書かずに、背景設定を知らない人にはなんだか分からない文章なんですね、あれ全部。

 『紫式部日記』とか、奏でられている音楽で今どういう状況か分かるから一切書かない、みたいなね。それって「『紅白歌合戦』の何年目なのかは、最初の3曲目をみんな知ってたら分かるでしょ」みたいなことですよね(笑)。

吉田氏:
 うーーーん。

冲方氏:
 そんなもので日本語っていうものは、コロコロ変わっていくんですよ。時代の常識によって。

日本語が外国の文化に吸収されて、違うニュアンスを持つことによって、輸出が成功する

吉田氏:
 「日本語」っておっしゃいましたけど、それを「日本の小説」って言うと、やっぱり他の国と比して……ちなみに冲方さんについて補足しておくと、冲方さんは帰国子女でいらっしゃるので、日本と海外の比較には非常に強いはずなんですけど。日本の小説ってやっぱり世界から見た時に、何か違うんですか?

冲方氏:
 まったく違いますね。世界でいちばん翻訳するのが難しいのが、日本語ですね。

吉田氏:
 えっ、そのココロは?

冲方氏:
 まず主語がどんどん変わっていくんですよ。先年、文章講座をやったんですね。生徒さんを集めて、試しにやってみたんですけど。その時に『ハリー・ポッター』を題材にして、文章の違いを教えたんですね。

(画像はハリー・ポッターと賢者の石: Harry Potter and the Philosopher’s Stone ハリー・ポッタ (Harry Potter) | Rowling, J.K., Matsuoka, Yuko | 読み物 | Kindleストア | Amazonより)

 『ハリー・ポッター』の原文と、その翻訳された文章で。原文のほうは「he」、彼がどうしたっていう文章がずっと続くんですけど。日本語の文章の場合は、1行ごとにほぼ主語が変わっていくんです。そっちのほうが書きやすいし、伝わりやすいから。

 これが日本語の特徴で。他の言語を日本語に翻訳するのはものすごく簡単というか、得意なんですよ。日本語って。人んちの文章を日本語に変えるのがすごく得意なんですね。
 逆に、日本語を英語、フランス語、ドイツ語、中国語とかですね、他の言語に翻訳するのがすごく難しいんですよ。ニュアンスが全部消えちゃうので。空気が全部消えちゃうんですね、「分かってるでしょ」みたいな。

 たとえば、主語がない代わりにあらゆる主語、あらゆる述語が代替可能で。具体的に言うと、日本語には「お兄ちゃん」っていう呼び方だけで100種類以上あるんです。兄貴を定義づける言葉だけで。
 これを「お兄ちゃん」って言うのと「兄貴」って言うのと「兄上」と言うのでは、ニュアンスが違うじゃないですか。

吉田氏:
 たしかに、まったく違いますね。

冲方氏:
 それが英語だと「brother」、以上。みたいな。一単語に集約されちゃうので、空気が消えちゃうんですね。

吉田氏:
 その日本語を使って、たとえば『ハリー・ポッター』を日本語に訳すのは、わりと得意なことだと。じゃあ日本語で書かれた物語というのは、いろんなニュアンスを内包しちゃってるわけですよね。それをぜんぜん訳せない?

冲方氏:
 訳せない部分が多々ありながら、そのエキスだけを翻訳して送ってる感じですね。
 ただ逆に海外で今、これもアニメ・マンガの恩恵なんですけど、日本語がそのまま輸出されることが多いじゃないですか。アニメも「anime」と言うようになりましたし。

 先日、これを英語に翻訳するとどうなるんですかと聞いてみた時に、たとえば「先輩」をどうやって翻訳しているんですかと聞いたら、「センパイ(senpai)」そのまんまだと。
 海外の人たちもなんとなく、「センパイ」っていうとただ年齢が上だけじゃなくて、自分にいろんなスキルを教えてくれる有り難い存在、みたいな空気をね、今は知ってくれているので。これもまた説明する必要がなくなってきたから、そのままいけます、みたいな。

吉田氏:
 これは余談かもしれないですけど、「センパイ」は『Fate/Grand Order』のせいですよ(笑)。世界のオタクの標準だけで言うと。本当に。やたらとマシュが言うので、そのせいですね。

冲方氏:
 そういう時に大事なのは、こっちからはサジェスチョンしないということですね。

吉田氏:
 どういうことですか?

冲方氏:
 たとえば「七輪」事件って覚えてます?

吉田氏:
 誰だっけ…… #アリアナ・グランデ さんか。

冲方氏:
 アリアナ・グランデさんが日本語が大好きで、自分の歌の「Seven Rings」にちなんで「七輪」っていうタトゥーを入れたんですよね。

吉田氏:
 「七つの指輪」なら分かるんですけど、間を取って「七輪」になっちゃうと、日本人からすると「これから焼き肉やるのか」みたいなことになってたんですよね。

冲方氏:
 「それはバーベキューグリルだ」「日本語の使い方が間違っている」と炎上したせいで、アリアナ・グランデさんは日本語が嫌いになっちゃいましたけど、だったら「五輪」はどうなんだと。
 一輪、二輪……と一個ずつ数えてみましたけど、別にいいじゃないかって話ですよね。要は、日本語というものを輸出する時に、日本人が一番苦手なことのひとつですけど、自分が誰かに与えたものが、自分の意図から外れた使い方をされると、腹を立てる民族なんですよ、日本人って。

 たとえば、寿司にとんかつソースをかけて食ったりすると、寿司屋としては「けしからん」みたいな話になるわけじゃないですか。
 でもそういうことをやってると、輸出がどんどんヘタになってくるんですね。輸出するということは、他国の文化に食ってもらう、吸収してもらうことですから。日本語がどんどん変形していって、違うニュアンスを持っていってくれることによって、輸出が成功するわけなんですよ。
 それをね、日本人は「それはけしからん」「それは日本語ではない」と言い出すから、いつまで経っても輸出が伸びないんです。

吉田氏:
 たしかに、ほとんどの日本人はカリフォルニアロールを見た時に、軽い違和感とツッコミはしてると思うんですね。

(画像はカリフォルニアロールのイラスト | いらすとやより)

冲方氏:
 「これは寿司じゃない」って言っちゃうじゃないですか。でも英語がなんでこんなに世界に広まったかというと、その土地土地での変形を許したからですね。

吉田氏:
 それは英語圏の人は、あまり抵抗がないんですか?

冲方氏:
 もう、そういうものだと思ってるんでしょうね、やっぱり。
 また先日、別の面白い話を聞いたんですけど。フランス人が他の国の人間と英語でしゃべる時に、あまりにもイントネーションも使い方も違うから、各国語の英語翻訳ソフトを作ったんです。

吉田氏:
 えっ?

冲方氏:
 つまり、インド人のしゃべる英語と、オーストラリア人のしゃべる英語があまりにも違うので、同じ英語のはずなんだけど意味が分からないから、翻訳ソフトを作ったという。

吉田氏:
 あぁ(笑)。

冲方氏:
 要は方言みたいに、言葉というのはどんどん変形していくんですよ。土地土地によって。なぜかというと、背景となる常識がぜんぜん違うからです。

吉田氏:
 さっき言った「群衆」と一言で言っても、オーストラリア人みたいに土地のあるところの群衆と、インドのムンバイみたいにムチャクチャ人が集まってるところの群衆では、イメージが違いそうですよね。

冲方氏:
 ぜんぜん違うでしょうね。大都市でイメージする群衆と、野原しかないモンゴルみたいなところで想像する群衆とでは、ぜんぜんイメージが違うわけですよ。
 そうすると何が良い悪いというのもありますし、食べ物の話ですと、新鮮に食べられるものなんて、世界中でバラバラなわけですから。

吉田氏:
 たしかに日本人が海外に行って、寿司にたとえば羊の肉が使われていたら、心の中の海原雄山がキレる瞬間ですよね(笑)。「こんなものは寿司ではない!」って。

(画像はYouTube「美味しんぼ【デジタルリマスター版】 PV② 」より)

冲方氏:
 「マトンのトロです」みたいな(笑)。

 日本のコンテンツがなぜ海外の人たちにウケたかというと、自分たちのカルチャーにないものがポーンと出てきて、それを吸収しようと思って、海外のアニメ好きの人たちが買ってくれていたわけですけれども。流れに乗って輸出しよう、海外支部を作ろうといった動きが、その後に続かなかったのは、そういう要因があるんじゃないのかな。

吉田氏:
 それを超えて消化されちゃってる場合は、もういいやっていう感じも若干、最先端はしますけどね(笑)。

 でもたしかに、中国人からすると「部活」というものを知らないと。でも部活も受け入れてますからね。言葉そのものを。
 あとフランス人の方だったかな、アニメが好きすぎて日本に来た人で、「アニメの国に来た」とその人がいちばん実感したのは、踏切を見た時なんですって。向こうは街中に踏切なんかないから。

冲方氏:
 はいはい(笑)。

吉田氏:
 日本のアニメって踏切が大好きで、よく描写されるので、踏切を見てカンカンって鳴った瞬間に「アニメの国に来た!」とすごく思ったって。

(画像は踏切のイラスト | いらすとやより)

冲方氏:
 そう、もうひとつ日本人がすごく得意なのが、日本に来てもらった時にもてなすのが得意なんですよ。自分たちの空気に入ってきてくれた人たちは、もてなせるんですね。だから観光業とかけっこう得意じゃないですか。

吉田氏:
 みんなウケがいいですよね、海外から来た方の。

冲方氏:
 それは自分たちのルールに従ってくれるので。フランス人の人たちがアニメでたくさん踏切を見て、そこらへんを走っているバスを電車に見立てて、バス停を今度から「踏切」と呼ぼう、みたいなことになったら、そういうのが日本人は苦手なんですよね。

吉田氏:
 たしかに。茶室で正座してくれる海外の人に対しては、めちゃめちゃプラスの気持ちがありますね。

冲方氏:
 安心してもてなせるんです。逆に、日本に来てゴミの出し方が分からずに、全部まとめて捨てちゃう人とかは苦手なわけですね、日本人は。そういう人たちになんとかルールをローカライズしてもらおうと。
 だから日本におけるローカライズって、みんな日本化しないといけないみたいなニュアンスがあって。全体の空気を読もう、つまり暗黙のルールを守った上で楽しもうというのは得意なんです。

 逆にそれを輸入したがる国もありますよね、シンガポールとか。「日本人みたいに規律正しく道路を渡る国民を作るんだ」と、日本式の交通ルールを輸入するみたいな話を、ずっと前に聞きましたけど。

ネパールで、1冊が8千円もする『少年ジャンプ』を読んでいた

吉田氏:
 冲方さんは昔、シンガポールにいらしたんですよね?

冲方氏:
 当時は、今とはぜんぜん違う国ですけどね。

吉田氏:
 その頃はもっとワイルドな?

冲方氏:
 その頃はまだ密林を切り開いていくような時代でしたし、あんなに高層ビルがバンバン建っているような感じではなかったですね。コンクリート打ちっ放しな国の感じでした。

吉田氏:
 で、そこに子どもの頃にいらっしゃって……って、僕は以前、直接お伺いしたことがあるので、バーッと説明しちゃうと。
 その時に冲方さんは、日本の方がほとんど周りにいないというような環境で学校に行ってて。『少年ジャンプ』1冊が数千円する、みたいな状況だったんですよね?

冲方氏:
 当時は空輸で買ってもらってましたからね。特に高かったのは、ネパールに住んでいた頃ですね。

吉田氏:
 ネパール!

冲方氏:
 ネパールって地理的にどこか分からない人もいらっしゃると思うので説明すると、インドと中国とチベットの間です。ヒマラヤ山脈の麓(ふもと)に国がある感じ。エベレストに登りたいっていう人は、まずネパールに行って登ると。山登りビジネスがすごく盛んなところで。ちなみに言うと、ブッダが生まれた場所だというのも、けっこうなウリになっていますね。

(画像はエベレストのイラスト | いらすとやより)

 つまりね、山岳地帯だから、陸路がほとんどないわけですよ。で、海路はもちろんないわけで。だから飛行機でマンガを輸入しなきゃいけない。そうすると、『少年ジャンプ』1冊をネパールに持ってきてもらうのに、8千円かかっていたんです。20年前は。

吉田氏:
 それだとさすがに、毎週買うわけにはいかないじゃないですか。

冲方氏:
 もう、3カ月に1回手に入れば、万々歳でしたね。

吉田氏:
 でも冲方少年としては、やっぱり読みたいですよね?

冲方氏:
 読みたいですね。みんなにお願いをして、買ってもらって。しかも、おじいちゃんとかにお願いをして買ってもらうから、「『ジャンプ』が読みたい」って言うと、たまに『週刊少年ジャンプ』だったり、たまに『月刊少年ジャンプ』だったり。

吉田氏:
 ディテールが分かんないんですね。

冲方氏:
 こっちも分かんないから、「なんで今回の『ジャンプ』はこんなに分厚いんだろう?」って。

吉田氏:
 そうか、見慣れてないと正解の比較対象がないんですね。

冲方氏:
 『週刊』と『月刊』って書いてあるのは確かなんだけど、区別がついてなかったんですね。だから「きっと今回はすごくいっぱいマンガができたから、こんなに分厚いんだろう」と(笑)。

吉田氏:
 逆に、説明されていないことは想像するしかないわけですもんね。

冲方氏:
 ぜんぜん分かんないですね。昔、1回だけ『ホビージャパン』を送ってもらったことがあって。

吉田氏:
 『ホビージャパン』ですか。

(画像は沿革 | 株式会社ホビージャパンより)

冲方氏:
 いろんな作品のプラモがいっぱい載ってるじゃないですか。ですから物語がいっぱいあるわけですよ。

 それで覚えちゃったのものだから、その後にプラモの元になったアニメを見た時に、「あのプラモがアニメ化されたんだ」と思いましたね。

吉田氏:
 逆ですけどね(笑)。

冲方氏:
 (笑)。そんな感じで自分も、輸入に頼って日本のコンテンツを味わっていたクチなので。

吉田氏:
 その時に、冲方さんが他の国の人たちにそれを見せると。見せるとやっぱり、ウケが良かったんですよね?

冲方氏:
 ウケがいいどころじゃなくて、僕が子どもの頃には日本のアニメがもう、世界のカルチャーの最先端だ、みたいになっていて。『AKIRA』だ、『ナウシカ』だと。
 僕の友達のお父さんが大使館に勤めていて、日本のVHSを手に入れるわけですよ、ヤツらは金持ちなので(笑)。でも、それには字幕がついていないので、僕に「翻訳してくれ」と言ってくるわけですよ。僕もよく分かんないけど、がんばって翻訳した経験がありますね。

(画像はAmazon.co.jp: AKIRA | Prime Videoより)

吉田氏:
 『AKIRA』なんて、大人になって冷静にストーリーを追っても、イマイチよく分かんないところがありますよね。

冲方氏:
 「“AKIRA”という名前の意味はなんだ?」って。「AKIRAは人の名前だ」じゃ説明が終わらないんですよ。「どういう意味だ」って聞かれるんです。
 父親に相談したら「アキラで光ってるから“シャイニング”って言っておけ」と(笑)。「だからアキラはあんなにシャイニングなんだ!」って、説明と誤解がないまじっていく感じですかね。

吉田氏:
 さっき言ってたように、日本人だったら「アキラ」という言葉から、すごくいろんなニュアンスを引っ張り出すんだと思うんですけど。“アキラ”の中には光ってる要素もあるだろうけどさ、っていう僕らの気持ちで提示するしかないんですね、海外では。

冲方氏:
 たとえば光ってるつながりで、「朝日みたいだ」「何かが始まる予感がするんだ」とか、いろいろ説明するわけですよ。向こうも面白がって、ふんふんと聞いてくれるわけですけれども。

ネパールで想像した冲方版『ドラゴンボール』の続きを、日本で答え合わせしていた

吉田氏:
 『AKIRA』だったら映画1本ですけど、続き物もあるわけじゃないですか。僕は以前、その話がすごく面白いなと思って。

冲方氏:
 僕は『少年ジャンプ』の続きを想像するしかなかったので。次に手に入った時には、連載が終わっていたりするわけですよ。打ち切りになっていたり。
 だからもうずっと、想像するしかなくて。だいたい、『ドラゴンボール』を初めて読んだ時の話数が、ピッコロ大魔王が口から卵を吐いているところなので。

(画像はDRAGON BALL モノクロ版 13 (ジャンプコミックスDIGITAL) | #鳥山明 | 少年マンガ | Kindleストア | Amazonより)

吉田氏:
 だいぶ後ですね。

冲方氏:
 その卵がドラゴンボールだと、ずっと思ってました。

吉田氏:
 あぁ、なるほど(笑)。タイトルからすると、これがいちばんボールっぽいぞと。

冲方氏:
 しかも主人公はほとんど出てこないし。

吉田氏:
 この時はそうかもしれないですね。

冲方氏:
 そうすると「主人公は誰か?」から想像して。どんな話なのかを想像して、どういうふうなオチがつくのかを、ずっと想像しなけりゃいけない。

 で、日本に帰ってきたら改めて、答え合わせみたいなことをやるんですけど。言っちゃ悪いですけど、やっぱり自分で想像したもののほうが面白いんですよ。自分のリアリティを込めて想像するわけですから、人間って。いちばん自分に身近で、いちばん自分が実感できる物語を、ずっと想像しているので。
 だから「こういうふうに終わったんだ」「こういう物語だったんだ」と、新鮮な気持ちで楽しく読めるわけですけれども、やっぱり、ものすごく情報が欠けた状態で自分が想像していた時の、想像力の羽ばたき方はまたそれはそれで、素晴らしく楽しかったなと。

吉田氏:
 歴史上のどこかには、冲方版の『ドラゴンボール』がある?

冲方氏:
 『ドラゴンボール』があったり、『ドラえもん』があったり、『聖闘士星矢』があったりしますね。あとは、まだその頃は「読み切り」って概念を理解していなかったので。「この続きはいつ載るんだろう」って、ずっと待っていたりしましたね。

吉田氏:
 読み切りのものなのに。

冲方氏:
 『幽遊白書』#冨樫義博 先生が描いた初期の読み切り作品で、ホラー映画を題材にした短編があるんですけど、ずっとその続きを想像していました。きっとこういう話になるだろうと。
 それで日本に帰ってきて、あらゆる本屋さんでその続きを探したけど、ないんですね。そこで初めて「読み切り」という概念を理解して。「なんと、あの1話しかなかったのか」と。

(画像は狼なんて怖くない!! (ジャンプコミックスDIGITAL) | 冨樫義博 | 少年マンガ | Kindleストア | Amazonより)

吉田氏:
 めちゃくちゃ規格外の育ち方をしてますね(笑)。

バーチャル世界には、ゲームのような“物語”がまだないのか?

吉田氏:
 今、ハッとその時代のことを思い返すと、今日は電ファミニコゲーマーさんも関係あるので、めちゃくちゃゲームというのが支配的な時代だったと思うんですよ。子どもの頃、めちゃくちゃゲームをやったなぁと、僕も思うんですけど。
 シンガポールからネパールにいた冲方少年はその頃、ゲームはどうしていたんですか?

冲方氏:
 ファミコンですね。

吉田氏:
 ファミコンはなんとか持っていた?

冲方氏:
 まずですね、悔しいことに、金を持っているヤツの家にあるんです(笑)。それで遊びに行ってファミコンを触らせてもらうわけですけれども、昔の日本のテレビみたいに、みんなが集まってやるんですよ。

吉田氏:
 やってた。それは都内にいた普通の小学生も同じでしたけどね。

冲方氏:
 そうすると、いちばん上手いヤツがプレイする権利を持つわけですよ。それをみんなが見るという。コントローラを握りたいがために、ものすごい集中力を発揮して、一切ミスをせずに操作するっていう(笑)。

吉田氏:
 練習はできないわけですよね。

冲方氏:
 友達が失敗しているのを後ろから見て、「あそこはああするんだな」ってもう、睨むように見てましたね。だからファミコンをプレイする時は、脇の下に汗をかきながらやってましたよ。ものすごい緊張感で。

吉田氏:
 それは何歳ぐらいで、タイトルは何だったんですか?

冲方氏:
 12、3歳ぐらいの頃で、『マリオカート』とか『スーパーマリオ』だとか。あとはPlayStationの『みんなのゴルフ』とか。
 『ドラクエ』は、マップを覚えるのが苦手なヤツらがいっぱいいたので、僕は全マップを記憶して1回も迷わずに通過できるっていうので。「『ドラクエ』だったらお前」みたいな。そんな感じでやってましたね。

 コロナによって今、いろんなエンターテインメントが今までとぜんぜん違った状況に置かれてると。
 その中で僕は、間の説明はすっ飛ばしますけど、バーチャルの可能性をものすごく感じているんですね。3Dでバーチャルに入っていく。じつは毎日自分でやっている【※】せいもあるんですけど。

※毎日自分でやっている
吉田尚記氏は2019年より、21歳のバーチャルMC“一翔剣”として、ラジオやYouTubeで活動している。

冲方氏:
 僕も今、思いました(笑)。

吉田氏:
 バーチャルの世界から生放送するということをやっているんですけど。これもまたいろいろと長い話なので、横に置いておきますけど。バーチャルって物語がまだないんですよ。ほとんど。

冲方氏:
 物語って「何」か。いろんな捉え方があるんですけれど。
 「物事を説明するのが物語だ」っていう場合もありますしね。たとえば観光名所に行った時に、建物の由来とかいうのもひとつの物語になるわけです。

 ゲームにおける物語は、今おおむね、キャラクター同士のかけ合いというのが非常に強いと思うんです。それは物語のほんの一部に過ぎなくて。

 たとえば『ドラゴンクエスト』の最大の物語は“旅”っていう。旅が始まる。旅が変化していく。より広大な場所に行ける。マップが変わるたびに、物語がそこに生まれていたんですね。その土地でしか出会えない人々。出会えないモンスター。そこでしか体験できない物事。そういったロールプレイング的な物語が、そこで語られていたんです。

(画像はドラゴンクエスト“ロト伝説”シリーズ 公式プロモーションサイト | SQUARE ENIXより)

 それがいつの間にか、マップが複雑化していって、シナリオも複雑化していって、キャラクターがメインになっていって、今に至ると思うんですけど。

 吉田さんのおっしゃる「バーチャル世界における物語がまだない」というのは、バーチャル体験は仮想現実なので、現実の延長なんですよね。明らかに自分が違う存在になる、自分が違う役割を演じるっていう物語を体験するのか。それともそれを体験している人を見るのか。

 吉田さんは今まさに物語の中にいると、僕は思います。バーチャル世界で違う自分になって、違う役柄を演じる。その新しい人物が生きるためには、そこに物語が生まれなければいけないですから。
 それはどちらかというと“文脈”と言ったらいいのかな。そのキャラクターがいて、お客さんがいて、こういう話題があって、こういうふうに語るから、このキャラクターは面白いとか。その文脈の中で新しい物語が生まれていっているんだろうなと思うんですけれども。

 お客さんのほうがどう参加してくるかによって、物語が変わるんじゃないですかねぇ。

人間は“物語”を与えられているものしか、その存在を認識できない

吉田氏:
 その、そもそものところになるんですけど。ゲームが、物語がないままでもよかったと思うというか、物語がなくてもゲームがなくなりはしなかったと思うんですけど。
 でもゲームで物語が表現できるという何らかの気づきがなかったら、ゲームがこんなに巨大な産業に育つことはなかったんじゃないかと思うんです。その、ゲームが物語を獲得した理由って、マスを志向したからですか?

冲方氏:
 逆ですね。

吉田氏:
 逆?

冲方氏:
 物語を獲得するものが生き残るんですね。どんなものであっても。

吉田氏:
 お〜っ。

冲方氏:
 由来であったり、過程であったり、存在であったり、そういうものに価値があると認められることによって、そこに物語が生まれる。つまり「これが物語である」というふうに、みんなに認識してもらえるんですね。
 たとえば、スポーツに名プレイがあると。そこに歴史が生まれて、物語が生まれて、親から子に受け継がれていって……というような。

 逆に、物語がまったく生まれないものというのは、他人に伝える価値がない。子どもに伝える価値がない、この世に残す価値がないとみなされていったものが、物語を与えられなかったものなんですね。

吉田氏:
 物語を与えられなかったものって、たとえばなんでしょう?

冲方氏:
 与えようと思えば与えられるんですけど。たとえば、現代美術で世界に最も影響を与えたランキングがどこかに出てましたけど、「噴水」というタイトルで……。

吉田氏:
 デュシャンの『泉』【※】ですね。「R.Mutt」という署名を書いた便器を、横に置いたヤツ。

※デュシャンの「泉」……美術家のマルセル・デュシャンが1917年に制作した芸術作品。デュシャンはこの作品を「ニューヨーク・アンデパンダン」展に出品しようとしたが、展示を拒否されたため、当時の芸術家たちを交えて激論を繰り広げた。2004年に英国の専門家500名が選出した「最も影響を与えた現代美術作品」の第1位に、この「泉」が選ばれている。
(画像は泉 (デュシャン) – Wikipediaより)

冲方氏:
 そうそう。原題が「Fountain(噴水)」なんですね。

 あれは物語が与えられなかったものに、物語を与えたんですよ。新たな価値を与えた。
 それまで便器には、別の物語が与えられていたわけです。「それを使用している時は他人に見られないもの」とか、「基本的に不潔なもの」とか、「美術的な価値のないもの」とか、「工業生産的なものである」とか、「貧困国にはぜんぜんなくて下水が汚れている」とか。そういった物語がくっついていたわけですね。
 そこにまた新たな物語を付け加えて、ああいうふうに現代美術として成り立ったと。

 もっともっとさらに、物語として認識されなかったものを遡っていくと、つまり、我々には認識できないわけですよ。そもそも「ないもの」として扱っているので。
 人間がある何かを認識して、それに価値があると認識するためには、そこに物語がなきゃいけなくて。物語がないということは、我々には認識できないんですね。あっても見過ごしている。

 たとえば、今日歩いてきたアスファルトの道の形状を記憶できている人はいないと思うんですよ。そこに何の物語もないわけですから。自分に関連がない。
 ただこれが、そのアスファルトを整地した人だったら、「ちょっと削れてきたな」とか、「何カ月か後にまた改修が来るな、これは」とかね、そこにその人の物語があるわけです。
 だから、ある人間が独特の視点を持つとか、独特の考え方を持つ、その人ならではのリアリティを持つというのは、本来多くの人たちがそこに物語を感じないものに、物語を感じる人たちのことなんですね。

 マザー・テレサが最初に貧者を救済しようとした時に、何か売れるものがないかと周りを見回したら、ヤシの実がいっぱい落ちているので、「その繊維をクッションにして売ったらいいんじゃないかしら」と思いついたと言われていますけど。
 それまではみんな、ヤシの実なんて見向きもしなかったわけですよ。そこには何の物語もなかったわけですね。道ばたに座ったお金のないマザー・テレサが「どうしよう」と眺めていた時にふと、そこに価値があるんじゃないかという、可能性の話ですね。
 そこに可能性がある。実際に形にしてみる。多くの人がその可能性に気づく。そしてそれが一般化していく。そういうふうに物語が生まれていくので。

“ゲーム”とは、人間の活動からそのエッセンスを抽出したものである

冲方氏:
 バーチャルゲームの可能性だとか、バーチャル世界における物語はどうなんだろうって語られていますけど、「バーチャル世界」というもの自体がもう、ひとつの物語ですから。
 そういうものがあるんだって発見した人がいて、定義した人がいて、テクノロジーによっていろんな人が体験できるようにして。それで、ここからまた新しい物語が生まれていくんだろうなと思います。バーチャルワールド、バーチャル技術っていうひとつの物語と、その中に込めていくまた別の物語ですね。
 「バーチャル世界でダイビングをしよう」とか、バーチャル世界で普通は行けないところに行こうというと、すでにある物語を吸収していくわけですね。

 バーチャルならではの物語、バーチャルでしか体験できない物語はなんだろう? というと、それはそのうち生まれるだろうし、生まれる必要がなかったら絶対に生まれない。

吉田氏:
 その「生まれる必要」のところなんですけど。ゲームが生き残ったのは物語を獲得したから。でもそれは意図的に獲得したんですかね?

冲方氏:
 そもそもですね、ゲームというのは物語そのものなんですね。ものすごく古いゲームだと、何かを維持する。たとえば『スペースインベーダー』だと、侵略されないように敵をやっつけていくとか。
 あるいは何かを受け渡す。RPGとかで受け継いだアイテムを渡す。人間が活動してきた物事を、ものすごくエッセンスにして、その部分を楽しむという。

(画像はSPACE INVADERS|スペースインベーダーの歴史より)

 やってきたボールを打ち返すというエッセンスがあるじゃないですか。そこにいろんな観念が、後からくっついてくるわけですよね。たとえば、「細かい仕事をピンボールみたいに打ち返す」みたいな比喩が生まれてきたりとか。現実にある物語が、どんどんそのエッセンスにくっついていくわけです。

 そうなってくると今度は、エッセンスをより活かすためのシステムはどうだろうと。今のソーシャルゲームだと、もっともっといろんなエッセンスがありますよね。たとえば「人とつながる」とか、「欠けたアイテムがないようにコンプリートする」とか、「点差を稼ぐ」とか。あるいは「人を助ける」とか。人の行動の中で根源的なものを抽出して、後からいろんなニュアンスをくっつけていくんですね。

吉田氏:
 それって、ちょうど世代的にラッキーだったなと思うんですけど、今まで存在していなかったゲームが次々に出てくるのを、リアルタイムに体験していたなと。
 たとえば恋愛シミュレーションゲームが初めて出た時に、「おっとぉ〜!?」って思うわけですよ。『ときめきメモリアル』が出た時に。もっと言うとPC-98のエロゲーが出た時に。育てゲーが出た時も思うわけですよ。何かを育てるってたしかに楽しいけど、ゲーム化されてなかったなって。

(画像はときめきメモリアル〜forever with you〜 | KONAMI コナミ製品・サービス情報サイトより)

冲方氏:
 人間の行動、活動すべてに物語があるので、それを投影したもの、あるいはそれを無限に再現し続けられるもの、たとえば建築だと『マインクラフト』とかですね。あれは本来だと、ただの重労働なわけですよ。リアルにやろうとしたら。石を運んで積んだりとか。ただそこを、エッセンスだけを楽しむと、楽しいから人間はやっているわけですよね。
 でっかいものが建つとすごく楽しいとか、可愛い女の子が立派な女の子……立派な女の子ってなんだって話ですけど(笑)、立派な女の子になるとなんかほんわかするとか。恋愛なんてもちろん、成就すれば嬉しいに決まってるじゃないですか。

(画像はNintendo Switch|ダウンロード購入|プリンセスメーカー ゆめみる妖精より)

 そういったすでにある文脈を、ものすごく上手くエッセンスにして、いろんな人に共有できるようにした。そこには、エッセンスは分かるし、それをどうにかして再現したいんだけれども、今まで再現できなかったこととして、電子機器というのがあるわけじゃないですか。デジタル機器が。デジタル情報によって、こんなことができる、あんなこともできるって、もういろんな物語がそこに合流しているわけです。

 電子情報というのは、人類が発明した言語の中でいちばん汎用性の高いもので。デジタルデータというか電子情報というか、01(ゼロイチ)って、ありとあらゆるものを記憶できる、世界で最も翻訳能力の高い言語なわけですよね。しかもそれを人間が直接解読するのではなくて、コンピュータというものに解読させることによって、どんなことでもできると。どんな情報でも一瞬のうちに語ることができるという道具を生み出したわけです。

 そうすると必然的に、ありとあらゆる物語がそこに集まってきて。そうなると、何か未知の、見たこともない物語が生まれるのでは、という感覚が芽生えてくるわけですよね。そういう時って、何か生まれる予感がするからそういう物語を抱くんですよ。ちょっと言い方がややこしくなりますけれども、「新たな物語が生まれるだろうという感覚」もまた物語なので。自分は今、新たな1ページが開かれる時代にいるぞという実感自体が、物語なんです。

(画像はMinecraft について | Minecraftより)

新型コロナウイルスは、世界中の人間が「自分はひとりじゃない」と実感できた物語だ

吉田氏:
 ちょっとすごい勢いで話が進んでいるので、僕の理解が追いつくためも含めて、勝手に整理しますけど。

冲方氏:
 すいません(笑)。

吉田氏:
 その実感ってたしかに、子どもに言いそうな気がしますよね。
 「今。何か生まれそうだと思ったよ」というのを、家に帰ってお父さんが子どもに言いそうな感じがちょっとある。だからこそ、それは物語なんだ、ということだなと今、理解して。
 で、もうひとつ、その理論に即してハッと思うのは、やっぱり後々、“2020年の春”というのはみんなが思い出すと思うんですよ。

冲方氏:
 それこそ、人類が初めて得た物語じゃないですか。世界中の人間が同じ目に遭うっていう。

吉田氏:
 そうか! “同時”では無いですね。似たような体験が時代は違ってあったとしても、ということですよね。

冲方氏:
 今までは、目に見えない危機感がかなりの範囲で共有された経験はあったと思うんですよ。たとえば核兵器とか核戦争とか、環境破壊とか。
 同一のウイルスに世界中の人間が冒されるかもしれない、実際に冒されている。各国がそれぞれ、ものすごくローカライズされた対応を見せる、っていう。これはたぶん、人類始まって以来の体験じゃないですか。だから僕は、コロナが収束された日を人類の記念日にしてほしいですね。

吉田氏:
 名前をつけるなら「人類の日」

冲方氏:
 全人類がその日、同じお祝いをするわけですよ。かつてない物語が生まれるんじゃないか。

吉田氏:
 しかも、だいたいの人において、ほぼ共通の感覚を持てますもんね。「良かった」っていう。

冲方氏:
 もしくは「ロックダウンつらい」とか。「別にいつもと同じ」とか。

 あとは「マスクをする」ということだけでも、世界中の人でこんなに反応が違うんだというのが見えたわけじゃないですか。違いが分かるというのは、みんな同じ経験をしないと、違いって分からないんですよね。

吉田氏:
 ディテールだけですもんね、違うのは。

冲方氏:
 グリッド線みたいに同じ状態がないと、どう違うのかっていうのが分からないわけですね。それまで「ヨーロッパ人と日本人はやっぱり違うよね」みたいな感じだったんでしょうけれど、ヨーロッパのヌーディストビーチでみんなマスクしてるっていうね(笑)。

吉田氏:
 そうか、そうなりますわね(笑)。

冲方氏:
 全裸で並んでる人たちのところに、警官が「マスクをしなさい」ってマスクを配って回るっていう。それ以外はいいのかよ、みたいなね(笑)。

吉田氏:
 呼吸器だけ守ればいいはずですもんね、今のところね。

冲方氏:
 「どう違うんだ」って細かく説明するまでもなく、「あぁ、違うんだ」っていうのが見えるわけじゃないですか。
 たとえばインドとかだと、コロナを啓蒙するために、ものすごく怖いコロナの着ぐるみを着た警官が、子どもたちを脅かして回るとか。なまはげか? っていうようなことをしたりとか。「お国柄が出る」というのはこういうことで。同じ体験をしないと、じつはお国柄って出ないんです。

吉田氏:
 そこでなんですけれども、「人類の日」、たとえばワクチンができた日にしましょう。それは全世界が共通の、良かったという気持ちが持てそう。
 その日を「人類の日」にしようという提案はすごくいいと思うんですけど、その時に、その「人類の日」という“物語”の意味合いは、いろいろ設計できるわけじゃないですか。

冲方氏:
 はい。いろんな設計ができて、いろんな国が自分たちの有利なようにするでしょうけどね。

吉田氏:
 そこで、最終的にどんな解釈、どんな物語が世界的に共有されるか、最も力を持つかなんていうのは、これは設計段階で決められるものではない?

冲方氏:
 設計段階で決めてもいいんですけど、コロナでみんなが実感したのは「自分だけじゃない」ってことでしょうね。

 世界中の人間が「自分はひとりじゃない」と実感できる瞬間のはずなわけですよ。自分と同じ経験をしている人が世界中にいるんだ、という実感を持つこと。そうすることによって世界中に人が存在しているんだという、新しいリアリティを得るわけですね。
 それまでは知識としてしか知らなかったのに、ちょっと身近になるわけですよ。現実の問題として。で、みんな同じ部分もあるんだな、違う部分もあるんだなって、初めてそこで認識するわけですね。

 たとえば、ブラジルという国が存在して、ブラジル国民がいることも知っているけれど、具体的にどんなヤツらかぜんぜん分かんないという時に、「こういう部分は絶対に一緒なんだな」というのを、あらかじめ知ることができたわけですね。「すげぇ大統領がいる国だな」と。「コロナで10万人ぐらい死ぬのはたいしたことないから、みんな普通に働け」って言う大統領。そういう認識ができたわけですよね。
 そうすると、その国でも「良かった」という人もいれば、「勘弁してくれ」という人もいると。ただ、物語があることによって身近になるし、初めて“存在”するわけです、そこに。「ブラジル人」という人たちが、初めて存在するんです。その人の心の中に。生きた存在として。そういう意味でコロナって、新しい物語を与えたなと思いますね。

(画像は手をつないだ世界の人々のイラスト | いらすとやより)

明治期の小説は、個人のパーソナリティを試行錯誤する最先端メディアだった

吉田氏:
 物語のその前に持っている知識、体験、手札みたいなもので、その後に紡ぐ物語は変わってくる?

冲方氏:
 そうですね。知識って、身につけただけだと物語じゃないんですね。ただの知識なので。ただの法則というか。
 それがどんな意味があるかというのは、実体験として実感しない限り、物語としては成り立たないんですね。だから他人にも共有できないし、素晴らしい体験としてなかなか受け取ることができない。
 だから、学校の授業でものすごく退屈なヤツは、ただひたすら知識を投げ与えられているだけで、そこに物語がないから、端から忘れていくわけですよ。

吉田氏:
 追体験ですよね。パワポには物語がなくて、板書には物語があるという感じかな(笑)。

冲方氏:
 もうね、単純に言うと、面白いか、面白くないかですね。興味を惹かれる面白いものというのが、要はそこに物語が存在するから、面白いと感じるんですよ。
 面白くないものというのは、自分にとって無価値で、関係がなくて、つまんないものなわけですね。どれほど重要な情報であったとしても、つまんないと覚えられないし、意味があるものだと思えない。

 ゲームに話がまた戻るとですね、ゲームというのは、「人間が何を面白いと思うか」というところに着目した媒体なんですよね。

吉田氏:
 ちょっとこれ、すごく面白そうなので、あえて整理して、横のことを聞きたいんですけど。たとえば小説は、どこに着目したメディアなんですか?

冲方氏:
 小説というものの成り立ちは、まだ歴史が浅いんですよね。

吉田氏:
 えっ!?小説って歴史が浅いんですか?

冲方氏:
 特に日本では、小説というものを意図的に考えて作り上げていったのは、それこそ明治期ですよね。

吉田氏:
 はい。

冲方氏:
 まず第一に、小説というものが成り立つには、社会的な背景が必要で。個人が書いた物語を勝手に売っていい社会にならないと、まずダメですね。

吉田氏:
 あぁ、なるほど。

冲方氏:
 その国を運営する政権が許さないとダメですし、あるいは宗教的なタブーが解除されないとダメですし。政治的なタブーも解除されないとダメですから。だから、ものすごく範囲が狭いところからスタートしているんですよ。
 で、そこからだんだん広がっていって、現代のように何を書いても許される時代に来たわけですね。まだせいぜい200年か、300年ぐらいじゃないですか。我々が知っている小説というものが、かろうじて生まれたのは。この200年ぐらいだと思いますけどね。

吉田氏:
 その時に、小説は何を目的に書かれていたんでしょう?

冲方氏:
 日本の場合はものすごく明白ですね。「個人」というものを発見したんですよ。

吉田氏:
 それまでは「お前の話をしろよ」と言われても、体験の話はできても打ち明け話みたいなものにはならなかった?

冲方氏:
 たとえばヤクザの挨拶とかも、「どこどこの生まれで何々のどういうつながりで、どこどこにある拙者です」みたいなね。つまり「お前は誰だよ」っていう。
 お前には何ができて、どういう性格で、どういう人物で、何がしたくて、どんな悩みを持っているんだって。それまでの日本人にとっては、パーソナリティというものは、ものすごく小さなものだったんですね。
 それよりかは、どんな集団に属していて、どんな都市に住んでいて、どんなところの人別帳に自分の名前が記されているか。どんな名前で知られているか、みたいな。要は、どんな空気の中に自分がいるか、ということが大事だったわけです。

 それで日本の小説の始まりというのは、ヨーロッパからの輸入で“個人”というもの、ペルソナ、パーソナリティ、人格ですね。それが輸入されて。欧米の文化をとにかく吸収して、自分たちのものにしようとしていた時代ですから。
 「自我とはなんぞや?」とか、「個我って何?」とか、「愛って何?」みたいな。がんばって吸収して、自分たちなりにジャパナイズドしたわけですよ。そこから日本の小説が生まれたんですね。それが今や、現実に存在しない人格をもてあそぶ、キャラクター小説にまで進化したわけです。

 だから明治期とか、そのちょっと前の幕末の文章とかって、個人というものを初めてテーマにして書いたわけで。当時はその個人というものが、ものすごく切実だったわけですね。特に幕末なんて、それまでの秩序から離れて新しい秩序に向かっていった時に、自分はどう選ぶのだ、どう生きるんだというものに直面しなきゃいけなかったわけですよ。

 たとえば #坂本龍馬 なんて、脱藩するという、ほぼ死罪に近い罪を犯しているわけですね。それまでのカルチャーも捨てたし、家族も捨てたし、ルールも捨てた。「新しい空気の中に飛び込むぜ」と言っても、どんな空気なのかも分からない。だから、うっかり勝海舟を殺しに行こうとして、説教されて弟子になっちゃった、みたいなね(笑)。

 次に自分がどうなるか分からない世界に、初めて飛び込んだんです。それまでの日本人って、来年になると何が起こるのか、全部分かっていたわけです。5歳になったらどんなお祝いをする、20歳になったらどんなお祝いをするって、年単位、数カ月単位で常にやることが決まっている。スケジュール通りに生きるのが日本人だったわけです。今でもそういう側面はだいぶ残っていますけど。

 そこに初めて、どんなルールも存在しない、「お前がルールだ」と言われる世界を知ったわけですね。それが小説だったんですよ。

吉田氏:
 その時の、他の人のリプレイみたいなものですかね、ゲーム的に言うと。

冲方氏:
 それこそ「バーチャルワールドで、オレは何をしよう?」ですよね。いろんなバーチャルワールドをみんなで考えたわけですよ。
 たとえば芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は、「オレの最も我欲の強いキャラクターで、地獄ワールドに行ってみよう。そうしたら、せっかくたれてきた蜘蛛の糸が切れちゃった」みたいな。そういう、パーソナリティの試行錯誤ですよね。それをずっとやってたわけです。

(画像は蜘蛛の糸 | 芥川 龍之介 | 文学・評論 | Kindleストア | Amazonより)

吉田氏:
 だとすると、書き残したりすることのほうが重要で、読んだ人が気持ちいいかどうかみたいなことについては、あまり頓着していないメディアですか?

冲方氏:
 日本で小説というものが発明された頃はむしろ、ロックとかパンクに近いですよね。それまで文芸といったら和歌である、俳句である、漢文であるという世界に、口語体で、しかもどこから翻訳してきたのか分からない造語だらけだったわけですよ。
 明治期なんて「文化」「社会」「学校」もそうかな。これらは全部、造語ですから。当時なんとなく、雰囲気で作っていた言葉ですから。

 だから読みやすいとか、読みにくいとかいった問題じゃないですね。これが理解できないヤツは旧時代に取り残されて、これが理解できるヤツだけが新しい時代に行けるんだ、っていうようなところに、小説はいたわけですね。

吉田氏:
 ユーザーフレンドリーなパンクは、それはパンクじゃないだろ、っていう話ですよね(笑)。

冲方氏:
 「分かるヤツだけがカルチャーの最先端に立てるんだ!」っていうような、最先端メディアだったわけですよ。だから当時、文豪と言われていた人たちは、各界の第一線の人も多かったんですね。軍医だったり、東大の先生だったり。これは森鴎外と夏目漱石ですけど。一方では新聞記者が歌を詠んだり、戯曲を書いたり。

 なので、日本の文学者でわりと自殺が多いのは、パーソナリティを限界まで試行錯誤したあげく、ハレーションを起こして消えていくというのが、非常に多いですよね。

社会について語る欧米の文学のスタイルが、欧米のゲームにも表れている

吉田氏:
 今そう言われて、日本人だから「文学者ってそうなるよね」と勝手に思ってたんですけど、世界的にはそうでもないんですね。

冲方氏:
 「恥ずかしくなったら死ねばいい」って思ってる民族は、なかなかいないですよ。

吉田氏:
 おぉ。

冲方氏:
 だいたいヨーロッパなんて、自殺したら墓場に入れてもらえないですからね。神様が与えてくれた寿命を、勝手に断ち切ったわけですから。葬式も上げてもらえない場合が多いですよ。

吉田氏:
 だとすると……ちょっとゲームの話に戻る前に、小説の話が面白すぎるので。世界的には、世界の小説もパンクなんですか?

冲方氏:
 ヨーロッパとかだと、文脈がまたぜんぜん違うんですね。物語を語る物語自体が違うので。
 たとえば、キリスト教だとパーソナリティって当たり前なんですよ。「神の前に立つ私」なわけですから。もう、パーソナリティを鍛えまくってたんですね。「死ぬ時に神様に何を言おう?」「自分は審判されちゃうから、告白しなきゃ。懺悔しなきゃ」っていう。

 そうやって、パーソナリティを磨きに磨いていったせいで、逆に「正しい社会って何だろう?」「これだけグチャグチャにトガりまくったパーソナリティをみんな収容できる、理想的な社会って何だろう?」みたいな。だから欧米の文学はパーソナリティを語る一方で、社会を語ることがある種、文学的であるという。
 その中でSFとかでも『1984年』みたいに、「ものすごい管理社会が訪れたらどうしよう?」とか、『ガリバー旅行記』みたいに各国のよく分からない国々を紹介することで、現代社会を痛烈に皮肉ったりとか。社会風刺というものが必ずセットになるのが、欧米の文学ですね。

(画像はAmazon.co.jp: ガリヴァ旅行記(新潮文庫) eBook: ジョナサン・スウィフト, 中野 好夫: Kindleストアより)

吉田氏:
 じゃあどちらかというと、世直しみたいな気持ちすら?

冲方氏:
 新しい理想的な社会、ユートピアですね。逆に現代社会が崩壊してしまうとディストピア。だから『ウォーキング・デッド』とかを見ると非常に分かるのは、「社会が崩壊してしまった後に、どんな理想的な社会を再建するのか」という話だったりするわけです。あれは非常に欧米の文学的な要素を含んでいるなぁと思います。

(画像はAmazon.co.jp: ウォーキング・デッド シーズン1 (字幕版)を観る | Prime Videoより)

 逆に、日本人はこれが苦手で。日本人にとって社会とは空気なので。空気を描くのはすごく難しいんですよ。ふだん描かずに済んでいた、言わずに済んでいたものをいちいち言うから、「うるさい」って言われてしまうんです。
 せっかく小説を読んでいるのに、社会体制についてのあれやこれやとか、読んでられないじゃないですか。小説に政治論とかが出てくると嫌がる人が多いのは、日常的に“空気”としてみなしているからですね。

 だから、ヨーロッパやアメリカで売れる物語に、日本人が若干ついていけないのは、そういうところですね。『アベンジャーズ』ですら、ファミリーを強調していますけど、最終的にはそのファミリーが「どんな社会を生きるのか?」とか、「正義の味方を社会的にどこに位置づければいいだろう?」とか。
 日本人はあんまりそういうことを考えないじゃないですか。「仮面ライダーを管理するのは日本政府か、新国連か、それとも彼の自由意志か?」なんて、あんまり考えないですよね。でも欧米はそういうのをセットにしないと、小説じゃない感じがする。日本人の場合、社会って空気なので、そういうことをいちいち語ってられないよ、っていうところがやっぱり、非常に強いと思います。

(画像はAmazon.co.jp: アベンジャーズ (吹替版)を観る | Prime Videoより)

吉田氏:
 じゃあ、パンクとして生まれた日本の小説が、どんどんといろんな表現形態を獲得し、今に至る。そして欧米の小説は、社会に対する目線が必ずある。というところで。

 ゲームって、まぁパンクみたいに「オレの話を聞け!」って作ってるゲームもなくはないですけど、それがメインではないし、世直しがメインのゲームもなくて。さっきのところに戻っていくと「気持ち良さに注目したメディア」だと?

冲方氏:
 欧米のゲームだと、今は仮想体験において、かつて文学がやったことを延々とやってるなぁ、という気はしますね。たとえば「どこまでゴア表現を受け入れるのか?」とか。
 あるいは、プレイヤーキラーなんていうのも、欧米ならではの物語ですよ。それまで信用されていた人間を殺して奪う、というのをひとつの面白さとして捉えているわけですから。「隣人を大事にせよ」と言われているということは、隣人を大事にしない文化なので、彼らは。とりあえず隣人はエサだと思っているので。

吉田氏:
 たしかに、日本人でその感覚はないですね。

冲方氏:
 日本人の場合、隣人を殺しちゃうと一緒に畑を耕してくれる人がいなくなるから困るので。一緒に道路を作る人がいなくなるので。ヨーロッパの場合はどこかの国から奴隷を連れてきて、道路を作らせればいいので、隣人を大事にするという文化が、そんなになかったんですよ。ゲームでもそれが、すごく表現されていると思いました。

吉田氏:
 人間って、敵味方を分けてしまう本能は確実にありそうだから、「敵を倒す」というのは気持ちいいこととして、まずゲームのいちばん初めの形としてよく表れるし。それが、MMORPGと言われる多人数で同時にできるゲームが現れると、PK(プレイヤーキラー)みたいなものが表れるのは、たしかに欧米っぽい。

冲方氏:
 しかもそれを、ゲームのメインに据えちゃったじゃないですか。『コール・オブ・デューティ』とか『フォートナイト』とか。あれは隣人を殺して楽しむゲームですからね。

吉田氏:
 なるほど。自分がイマイチ乗れない理由がよく分かってきた(笑)。

(画像はCall of Duty®: Modern Warfare®のシーズン5でWarzone™が拡張より)

「人生がつまらないと感じさせるためのゲーム」は存在し得るのか?

吉田氏:
 それで日本のゲームって、敵味方だったりとか、戦いじゃないところに新たな気持ち良さを見つけてきたものが、ものすごく多い気がします。

冲方氏:
 アジアならではっていうのがありますね。『第五人格』【※】でしたっけ、あれの“やさプレイ(優鬼)”っていうのをウチの息子から聞いて。“やさしいプレイ”って、鬼が捕まえないで、いつまで経ってもダラダラと話し続けるゲーム、チャットゲームになってるっていう。

(画像はIdentity V – Google Play のアプリより)

※『第五人格』
iOS/Android用のアプリゲームで、正式名称は『Identity V(アイデンティティ V) 第五人格』。最大4人のサバイバーを、1人のハンターが追いかけて捕らえる、非対称対戦型のアクションゲームとなっている。

吉田氏:
 あぁ、聞いたことあります、僕も。

冲方氏:
 何を楽しいと思うかによって、プレイヤーのほうがゲームのルールを若干ねじ曲げて遊ぶ方法を発見するように、今、なってきていて。プレイヤーのほうからのゲームの遊び方。たとえば『どうぶつの森』とかも今、そうじゃないですか。世界中で活用されていて。

 先日読んだアメリカの記事で爆笑したのが、ソーシャルディスタンスを保つために『どうぶつの森』を活用するSMの女王様の記事が載ってて(笑)。「私の畑を耕しなさい」って命令すると、女王様の畑を有り難がって耕すらしいですよ。あるいは「あなたのアバターは明日からスカートを履きなさい」って、奴隷を女装させる(笑)。「新しいあなたを発見したわね」みたいな。

吉田氏:
 ほぅ〜。

冲方氏:
 ゲームのテクノロジーが発達したおかげで、ゲームに自由度が出たせいで、人が何を面白いと思うかによってぜんぜん違うエッセンスを放り込むようになってきたのが、今のゲームじゃないですかね。

吉田氏:
 つまり、ゲームは人を気持ちよくさせることにかなり特化している。
 で、これってどっちが上位概念ですかね? 自分がやってることに意味があるって気持ちいいじゃないですか、すごく。物語ってまさにその機能があるわけですよね。

冲方氏:
 僕がゲームのシナリオを一時期作っていた頃に、とにかくがんばらなきゃいけなかったのは、「いかにして褒めるか」というのと「いかにしてけなすか」ということですね。
 クリアして「良かったですね」だけだと、人は飽きるので。失敗した時に「まぁ、お前はその程度のヤツだよ」とけなす。そうするとムキになってやったりするわけですね。

 これって人間が教育されてきた過程そのもので。「どうやって人生は楽しいと思うようになったか」の追体験ですよね、もはや。

吉田氏:
 逆に言うと、人生がずーっとつまらないと感じさせるためのゲームというのも、設計はできますよね? やるかやらないかは別として。

冲方氏:
 やったことが片端から無意味になることも、じつは精神的苦痛を除くと、それはそれで快感だったりするんですよね。ゲームというのは、人間が気持ちいいと思うものだけを抽出して組み立てたもので。だから、ちょっとでもストレスがあるとたぶん、プレイしなくなっちゃうんでしょうけど。

吉田氏:
 ちょっとでもストレスが溜まると、プレイしなくなっちゃう?

冲方氏:
 逆に、プレイしているだけで死にたくなるような辛いゲームって、どんなのでしょうね? 今ちょっと想像しようと思ったんですけど、なかなか出てこなかったですね。

吉田氏:
 ないでしょうね、あんまり。

冲方氏:
 逆に吉田さんにとって、死ぬほど辛くなることって何ですか?

吉田氏:
 うーん、滑り続ける、とか。

冲方氏:
 トークが?

吉田氏:
 そうそうそう。人に何を言っても「あぁ……」みたいな感じに常になるっていう。

冲方氏:
 (笑)。じゃあたとえば、高得点を出せば出すほど、つながる人が減っていくゲームとか、どうですか?

吉田氏:
 あぁ〜……辛そうですね(笑)。

冲方氏:
 世界トップになると、誰ともその点差を共有できなくなるゲームとか、辛いでしょうね。

吉田氏:
 ポイントを上げれば上げるほど、ランキングが見えなくなっていく。

冲方氏:
 たぶん、世界的なスポーツ選手が日々味わっていることを、追体験することになるんじゃないですか。

吉田氏:
 世界的なスポーツ選手って、他の人とコミュニケーションが取れなくなっていくんですか?

冲方氏:
 自分がどういうふうにプレイしているか、どうしてそうやると上手くいくのかというのが、だんだん他人に説明できなくなっていくじゃないですか。誰も分かんないから。

 あとは、YouTuberはどんどん友達が減っていく、みたいな(笑)。まぁでも、それを楽しいと思って突き詰める人もいるわけですからね。

 これまではゲームって、小さいコミュニティの中で成り立ってきたわけですよ。それが今や、ヘタすると全世界の人間が参加できるわけじゃないですか。そうすると、どんなに苦痛であっても、それが快感だと言い出すヤツがいそうですけどね。

個人的な気持ち良さをダイレクトに表現できれば、パンクなゲームがもっと生まれてくる

吉田氏:
 でもゲームって他のメディアに比べると、多様性を生み出すのが大変だと思うんですよね。関わる人数の数が、どうしたって多いので。テクノロジーの進歩で、2、3人でも本当にスゴいゲームを作ることもできるとは思いますが。

 たとえば、僕はラジオ屋なので、ラジオって究極、1人でもできるので。もうめちゃくちゃ、多様性を実現するのは簡単なんですよ。

冲方氏:
 まぁ、そうですよね。コンピュータゲームって、今はものすごいバジェットで作るようになってますもんね。昔は本当に少人数でやってましたけどね。

吉田氏:
 商売で考えると今はそうなっているだけで、逆に言うとゲームの世界にはまだその可能性は掘られてないということですよね?

冲方氏:
 まぁでも、今はネットでもSteamとか、個人でゲームを作っている人もいますよね。

吉田氏:
 今、インディゲームがすごいことになっている【※】というのは、チラッと聞こえてきていて。

※インディゲームがすごいことになっている
吉田尚記氏は、2020年6月に配信されたインディゲームのオンライン番組「INDIE Live Expo」の司会を務めているが、この対談はその配信よりも前に収録されている。

冲方氏:
 ものすごくしょうもないゲームがたまにあって、むしろ面白くて見ちゃうんですけど。たとえば、お風呂屋さんでお父さんを見つけるゲーム【※】とかね(笑)。

※『Shower With Your Dad Simulator 2015』
(画像はSteam:Shower With Your Dad Simulator 2015: Do You Still Shower With Your Dadより)

吉田氏:
 そこにどんな快感があるんだろう(笑)。

冲方氏:
 いやぁもう、「なんでこれを作ったんだろう?」って思いますもんね。

吉田氏:
 でもそういうものから、次のビッグヒットがあるのかもしれませんよね。人間が確かに気持ちいいと思っていたけど、それをデジタル技術で再現しようとは誰も思わなかったものって、まだまだ……。

冲方氏:
 まだまだあるでしょうね。たぶん、お父さんが分からなくなって心寂しい思いをした時に、お父さんを見つけた喜びを表現したのかもしれないですけど(笑)。
 そういう個人の感情や気持ち良さをもっともっと、ダイレクトに表現できるプラットフォームが生まれてくると、なんだかよく分からないパンクなゲームが出てくるかもしれないですよね。

吉田氏:
 パンクだけれどもメジャー、っていうものが。たとえば、コンピュータゲームじゃないですけど、「∞(むげん)プチプチ」【※】とかはそうだったわけですもんね。ずっとプチプチつぶし続けることがこんなに快感だと。いや、その快感は確かに味わったことがあったが、システム化できたのか! っていう。

※「∞(むげん)プチプチ」
2007年にバンダイから発売された玩具。梱包材の“プチプチ”を潰すような感触を、ひたすら楽しむことができる。国内外で累計335万個を売り上げる大ヒットとなった。

冲方氏:
 逆に「これさえやっていればすごく幸せ」っていうものって、何かあります? ものすごく単純なことで。

吉田氏:
 やっぱり、ちょうどいい負荷って大切だなと。先ほど言っていた「褒める」と「しかる」。ゲームの世界だと人が設計したものだと思いますけど、現実世界で、たとえば僕は自転車が好きなんですけど、延々と走っていたい道と、「イヤだな、この道」っていうのはあります。

冲方氏:
 あっ、そうなんですか! 道によって違うんですか?

吉田氏:
 道によってぜんぜん違いますね。

冲方氏:
 へぇ〜。

吉田氏:
 「この起伏は大好き」みたいなのとか。自転車を趣味で乗る人はたぶん、ある感覚だと思いますけどね。坂道でも、この坂は上りたいが、この坂は上りたくない、みたいなのはあります。これはでも、設計が上手いってことですよね。巧まざる設計ですけど。

冲方氏:
 あぁ、たしかに。目から鱗でしたね。自分も、散歩の習慣がなくなってしまう地域と、復活する地域がありますね。引っ越すと。
 だからゲームというのは、環境を提供するという点でも良いのかもしれないですね。

吉田氏:
 「環境を提供する」とは?

冲方氏:
 ゲーム空間というのがひとつの環境なんですね。今はもはや。何をやっても破壊されないし、汚れないし、汚染されないし。自分が何をやってもいい場所、みたいな。

 でも吉田さんの話をお聞きしていると、何をやってもいいようなゲームはあまりやっていないような印象ですけど。

吉田氏:
 オープンワールドみたいなゲームはあまり……。この仕事を始めたのが20年前で、それよりは最近の出来事なんですよね。オープンワールドが今ほど充実したのは。

冲方氏:
 僕は若い頃に投入された現場が、セガサターンとかドリームキャスト程度のスペックでオープンワールドを作ろうとして、大失敗したゲームの最前線に送り込まれていたので。「当時、これを作ろうとしてたのか。バカだなぁ」って思いながら、今のオープンワールドをわりと楽しんでいますけどね(笑)。ただ、当時のトラウマが蘇って、あんまりできないですけど。

日本の“つまらない”教育と、その結果にカルチャーショックを受けた

吉田氏:
 僕はオープンワールドは正直、あんまりやったことがないので、まだ感覚がないですね。そこはゲームの話をするのに、すごく弱いところだなって思いますけど。

冲方氏:
 無限にいろんな街を自転車で走れるゲームとかできたら、やりそうですけど?

吉田氏:
 やりたいですねぇ。なんなら、そのために自転車型のインターフェースとか、出てほしいですね(笑)。

冲方氏:
 マジで出るんじゃないですか?

吉田氏:
 もうありますよ、けっこう。

冲方氏:
 普通、自転車で走れないところを走れたりするじゃないですか、ゲームだと。パリの混雑したシャンゼリゼ通りとか、渋谷のスクランブル交差点を全力で駆け抜けるとか。そういうのがあったら、やります?

吉田氏:
 やってみたいですけど、やっぱり現実のものがある時に、そっちに行っちゃうのかなぁ?なんだかんだ言って、「これだけ音楽ソフトとかあるんだったら、もう楽器を演奏する必要はないんじゃない?」という考え方もありそうなんだけど、どっちかというと、音楽ソフトで楽器体験の楽しさを経験した人は本物に還っていく、みたいなことも起きているかなって気はしますね。

冲方氏:
 そのうち、ゲームが教育にどんどん活用されていくだろうし、いくべきだろうなと思いますけどね。

吉田氏:
 そこはわりともう、そうなってるんじゃないかな、って感じはちょっとしますけどね。

冲方氏:
 なんで日本人は、小学校が閉じたからって「『どうぶつの森』でちょっと部活やります」とか、やらないんだろうなって。まぁ、やってるところはやってるんでしょうけど。

(画像はNintendo Switch|ダウンロード購入|あつまれ どうぶつの森より)

吉田氏:
 個人でやってるでしょうね。

冲方氏:
 みんなでやればいいのに。日本の教育はまだ、ゲームに対して妙なアレルギーがありますよね。

吉田氏:
 でも、教育ってちょっと面白いなと今、思ったのは、物語って教育的な効果がありますよね?というかむしろ、教育が目的とすら言える?

冲方氏:
 本来の教育ですね。

吉田氏:
 本来の意味での。

冲方氏:
 できなかったことができるようになるのが、教育ですから。単純に言うと。ゲームなんて、できなかったことができるようになるのが楽しい媒体じゃないですか。
 そういう意味ではゲームは、ゲームをプレイする人を、ゲーム世界において、教育しているんですよね。

吉田氏:
 そこのゲームの中での成長が、現実世界の成長と、ちゃんと兌換できるようになっていればいいのかな。

冲方氏:
 そもそも日本の学校はつまんないですからね。

吉田氏:
 まぁね(笑)。

冲方氏:
 なんでこんなに、極端につまらないシステムを作れるんだろうっていうふうに、感心しましたけどね。

吉田氏:
 つまらなくなる要素でいっぱいですよね。

冲方氏:
 ねぇ。僕は子どもの頃は海外にいて、日本の学校に来るたんびにカルチャーショックを受けてましたね。「起立、礼、着席」の意味がわかんなくて。「なんで全員立っておじぎする?」みたいな。軍隊だなと思いましたよね。

吉田氏:
 学校については、よく言われていると思いますけど、近代学校って結局、工場と軍隊を作るために必要だからですよね。特に日本式の学校は。
 今、「工場も軍隊もそうそう要らないでしょ」となって、気がついた人たちがどんどん止めてるけど、日本の場合はまだ残っちゃって、引き続き同じ形になってる。

冲方氏:
 そうなんですよね。中学でも高校でも大学でも同じなんですけど、塾とかでもそうなんですけど、学校空間で講義・講演をするのがものすごくつまんないですね。「面白い話を持って行ったはずなのに、ここまでつまらなくなってしまうのか!」って、衝撃を受けますよ。

吉田氏:
 おっしゃることは分かります(笑)。

冲方氏:
 その延長で、ちょっと余談なんですけども。日本の重工業を担っている某社に「未来について語ってくれ」と言われて、わざわざ行ったわけですよ。未来のテクノロジーとか、未来の人間社会はどうなっているでしょう、みたいな話をみんなですることによって知見を深めましょう、っていうところに行ったんですね。でまぁ、みなさん、そういう話をされるんですけど。

 「なんでそもそもこういう企画を社内で立てたんですか?」と聞いたら、重工業はそれまで、ずっと政府の注文を受けてやっていたと。作らなきゃいけないものも全部決まっていたし、ヘタすると10年、20年越しにやることが決まっていたんだそうです。
 ところが最近、政府が「何をやっていいか分からないから、お前たちが考えろ」と言い始めたと。それでオレたちも何をやっていいのか分からないから、そういうのを得意そうなヤツを呼ぼう、という話になったって言われて(笑)。

吉田氏:
 うーーーん。

冲方氏:
 日本の重工業を担っていたような、頭脳的には素晴らしい人たちのはずですよ。そういう人たちが「何をやっていいのか分からない」って言うんだ! というのがカルチャーショックで。逆に、「何が面白くて、この人たちは仕事をしていたんだろう?」と思って、ビックリしましたけどね。

吉田氏:
 僕だったら、世界でいちばんデッカイ鉄球を作ってほしいですけどね。それだけでもう、ワクワクしますけど。

冲方氏:
 もうひとつ、僕が衝撃を受けたのは、津波が来てもすべて波を受け流せる原発を設計してみたっていう、設計士の人がいたんですよ。シャコ貝みたいな形状の原発で。「これなら安全なんだよね」って。

吉田氏:
 へぇ〜。

冲方氏:
 「じゃあ、なぜ最初からそれを作らなかったんですか?」って聞いたら、「誰も言わなかった」って。

吉田氏:
 誰も言わなかったから?

冲方氏:
 誰もそういう注文をしなかったから、作らなかったって。

吉田氏:
 オーダーの問題なんですか?

冲方氏:
 言われなきゃやらないんだ、スゲェ!と思いました、逆に。

吉田氏:
 言われなきゃやらないけど、自分でその問いは立てられているんですよね、その人は。

冲方氏:
 「津波、津波」って言われたから作った、って。逆にそれまでまったく考えなかったのか、スゴイなっていうのが、僕としてはカルチャーショックで。これはもう日本教育ならではだなと思いましたね。だって、言われたら作っちゃうんですよ、一瞬で。すごい頭脳だと思いません?

吉田氏:
 すごい頭脳ですけど……。問題解決能力は1万とか2万ぐらいありそうだけど、問題設定能力はそんなに高くない。

冲方氏:
 もうね、ステータスを振りすぎだろうと思って。ものすごい高性能のルンバみたいな人だなと思いました(笑)。

吉田氏:
 すごい完璧に部屋を掃除できるけど、「部屋を掃除しろ」と言われなければ何もしない。

冲方氏:
 そうそう。ものすごい高性能で、何でもできるんだけど、設定してもらわない限りビタ一文動かない。

 教育って、「○○を思え」っていう命令を長年受けると、その通りになっちゃうんですよね。だから自由度を高める媒体としてのゲームを、子どもたちが一回味わっちゃうと、学校の教育がどれほどつまらないかを再認識すると思うんですよ。

吉田氏:
 そりゃ『マインクラフト』をやりますよね、子どもは。

『フォートナイト』をプレイする息子を見て、「これぞ教育だ!」と実感した

冲方氏:
 『マインクラフト』『フォートナイト』、あとなんだろう、『どうぶつの森』とか『ポケモン』とか。

 僕は『フォートナイト』をやっている息子を叱れなかったのがね。すごい“やさプレイ”をしてくれた人がいたらしいんですよ。

(画像はフォートナイトチャプター2 – シーズン3 – スプラッシュダウンより)

吉田氏:
 優しいプレイを。

冲方氏:
 YouTuberで世界でもトッププレイヤーみたいな人と、たまたま一緒にプレイすることがあって。ずっとくっついて守り続けてくれたらしいんですよ、自分を。

吉田氏:
へぇ〜。

冲方氏:
 で、その後、2対1になった時に、どうなるんだろうってドキドキしてたらしいんですけど、先に自分を守って死んでくれたらしいんですよ。

吉田氏:
 えーっ!

冲方氏:
 その時は「君はチャンピオンになったんだね。良かったね」みたいに言ってくれたらしいんですけど、その次に会った時に、瞬殺されたって言ってました(笑)。
 優しいだけじゃないよ、と。「僕のプレイを見て学んで、君も同じプレイができるようになるといいね」と言って去っていって、ふたたび会った時には瞬殺されたと。「これぞ教育だ!」と思いましたよ(笑)。

吉田氏:
 それを叱れなかったというのは?

冲方氏:
 こんなに人間関係を学べる媒体を奪えない、って思っちゃいました。人に優しくするってどういうこと。人に厳しくするってどういうこと。それを端的に説明していて。しかもその目的は、ゲーム空間をより楽しくすることだっていう。それをトッププレイヤーから教えられたわけですよ。

 そうすると、独自にルールを作って、それを守って、他人と共有し合っていく大事さっていうのを知るわけですね。交通安全を頭から機械的に教えるよりも、すばらしい教育を受けてしまっているぞ、コイツは、って。止めさせられないです。

 しかもその息子が、初めて自力で1位になった瞬間があって。ものすごく集中していてですね、最後の最後、終わった瞬間には足とか震えているんですよ。カクカクしちゃって。ここまで集中して物事を、冷静に冷静にやらないといけないじゃないですか。

 最後なんてスゴイんですよ。ストームが……って、すいません、『フォートナイト』を知らない人にはアレかもしれないんですが、ストームというのがどんどん迫ってきて、プレイできる場所がどんどん狭くなっていくんですね。
 それで最後に、相手プレイヤーの残りヒットポイントを計算して、自分がストームのほうに出ていって、ストームの空間に爆弾をボンボン落っことして逃げるっていう。最後の最後に、ヒットポイント5ぐらいの差で勝てると思って、自らストームに飛び込んで勝ったところを、僕は後ろから見ていて、もうなんだろう、「お前はずっとそのゲームをやっていろよ」って言いたくなりましたね(笑)。

 ギリギリの駆け引きみたいなところとか、冷静さとか、集中力の発揮とか、勉強で本来教えるべきところを、ほとんどゲームが教えているなと思って。こいつが将来、社会で「こういうことがやりたい」と思った時に、絶対に思い出すと思うんです。『フォートナイト』での勝利体験を。あれぐらい集中して、あれぐらい努力すれば、きっとできるっていう成功体験を、子どもに与えてくれているので。わざわざ親が「よくできたね」「よく自転車に乗れたね、がんばったね」と言うまでもなく、努力することの素晴らしさみたいなものをどんどん学んでいくので。これはもう、もっともっと教育に採り入れるべきだなと思いましたね。

吉田氏:
 それにしてもたぶん、「やれ」って言われたら、イヤなんでしょうけどね。「『フォートナイト』は教育に良いと思うからやれ」と言われたら、やらないんじゃないかなっていう気が、すごくしますね。

冲方氏:
 そうですよね。

 教育にも2種類あって。絶対に身につけなきゃいけない教育、イヤでも身につけなきゃいけない教育っていうのがあると思うんですけど。文字を書くとか、算数とか。ある程度苦痛を伴うものはあると思うんですが。

 でも「なんで苦痛を伴わなきゃいけないのか」が分かった瞬間に、人間は楽しくなるじゃないですか。ゲームなんてそれの最たるものだと思うんですよ。
 だって客観的に見たら、画面を見てボタンを押しているだけですよ。それを一日中やれと言われたら、人間は発狂して死んじゃうと思うんですけど。なぜそれが面白いか、役に立つかということを、いったん物語として受け入れると、人間はそこに邁進していくんです。それが物語の力なんですね。
 そこに価値があると思うと、自分の人生をそこに運んでいく。それがゲームにおいて今、ものすごく気持ちいい形で実現していると思うんですよね。

吉田氏:
 もうさすがにお時間なのと、とても結論っぽい感じで良い感じにまとまったと思うので(笑)。
 個人的には、これをAudibleで聴いてもらって、どう思ったのかな? って、すごく気になりますね。

冲方氏:
 やっぱりよっぴーさんは上手ですね、人の話を引き出すのが。

吉田氏:
 そうですか? 僕は興味のあることだけ、延々と聞いてましたけど。

冲方氏:
 それがやっぱりすごいですよね。今日もありがとうございました。

吉田氏:
 こちらこそ本当に、長時間お付き合いいただきまして。

 これたぶん、Audibleさんが「いい」と言ってくれたら、続けさせてくれると思うので。もしよろしければ、冲方さんもまた再度登場していただくなど、アリかと思いますので。

冲方氏:
 ぜひぜひ。今、気づきましたけど、これ、飲みながらできますもんね。こっそり飲んでても、気づかれないんじゃないかな。

吉田氏:
 たぶんぜんぜん分かんないですし、なんなら今度は普通に飲みながらでもいいなと。

冲方氏:
 良いですね、オンライン飲み会のノリで。

吉田氏:
 オンラインでもいいし、逆にオフラインで飲みながらでも、本来はいいんですよ。今回はイレギュラーでこうなっているだけですから。

 こんな感じのコンテンツがそんなにはないと思うので、これからも“雑談屋”としては、こういうのを供給していきたいと思っております。小説家の冲方丁さん、お忙しいところをどうもありがとうございました。

冲方氏:
 ありがとうございました。お疲れさまでした。(了)


 記事の冒頭でも説明したように、この冲方丁氏と吉田尚記氏による“雑談”は、内容に関して事前に特に打ち合わせることもなく、言わばぶっつけ本番のような形で行われている。もちろん、ラジオパーソナリティである吉田氏としては、自身の中で会話の展開をある程度想定していたのかもしれないが、どんな話題にも的確に対応するその雑談力には、ただ驚くばかりだった。

 もちろん冲方氏も、作家という“言葉のプロ”だけあって、興味深い話題を次から次へと披露して、約2時間にも渡った収録時間を感じさせない、密度の濃い内容が展開されている。最初のほうに出てきた話題が、収録の最後にそれまでの話題と綺麗につながって、結論が導き出されていくあたりの流れは、“これぞプロの仕事”と言いたくなるほど、絶妙なものだ。

 このWeb版の記事を読んで興味を持ったみなさんは、ぜひAudibleの音声コンテンツも併せて聴いてもらえればと思う。そして吉田氏も語っているように、この企画が今後も継続できるように、応援いただけると幸いだ。

本インタビューのAudible版はこちら

【吉田尚記氏の著書 『元コミュ障アナウンサーが考案した 会話がしんどい人のための話し方・聞き方の教科書』が発売中】

 著者のニッポン放送アナウンサー・吉田尚記さんは、元・コミュ障。入社したばかりの頃は、うまくコミュニケーションを取ることができず、ゲストからも「絡みにくいアナウンサー」といわれてしまうなど、失敗の連続でした。

 そんな著者が試行錯誤しながら20年かけて編み出した会話術を、コミュニケーションに関する専門家3名が学術的に検証。
 アドラー心理学、談話分析、脳科学など、専門的な見地から「話し方・聞き方のコツ」をお伝えします。

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作家・冲方丁が語る“マンガが広げた小説の可能性”から『フォートナイト』は教育だと実感した話まで【聞き手:吉田尚記】